行の『赤い苺の実』の歌だ。竜宮劇場のプリ・マドンナ赤星ジュリアの得意の歌だった。――
「こら、誰だ。――」と大江山課長は叫んだ。「こんなときに呑気《のんき》に口笛を吹く奴は、あとで厳罰に処するぞ」
呑気な口笛――と捜査課長は云ったけれど、それは決して呑気とは響かなかった。なぜなら口笛は、警官の制止の声にも応じないで、平然と吹き鳴っていた。墓場のような暗黒と静寂の中に……。
「こら、止《や》めんか。止めないと――」
と大江山課長が火のようになって暗がりの中を進みいでたとき、呀《あ》ッという間もなく、足許に転がっている大きなものに突当り、イヤというほど足首をねじった。その途端に、足許に転がっていたものが解けるようにムクムクと起き上って、激しい怒声と共に格闘を始めたから、捜査課長は胆《きも》を潰《つぶ》してハッと後方《うしろ》へ下った。
「青竜王はここにいるぞッ」と格闘の塊《かたまり》の中から思いがけない声が聞えた。
「なにッ」
「痣蟹を早く押《おさ》えて――」
雁金検事はその声に活路を見出した。
「明りだ、明りだ。明りを早く持ってこい」出口の方から、やっと手提電灯《てさげでんとう》が二つ三つ入ってきた。
「そっちだ、そっちだ」
すると正面の太い円柱のあたりで、ひどく物の衝突する音が聞えた。それから獣のような怒号が聞えた。
「捕《とら》えた捕えた。明りを早く早く」
それッというので、手提電灯が束になって飛んでいった。
「痣蟹、もう観念しろッ」
まだバタバタと格闘の音が聞えた。するとそのときどうした調子だったか、室内の電灯がパッと点いた。射撃戦に被害をのがれた半数ほどの電灯が一時に明るく点いた。――人々は悪夢から醒めたようにお互いの顔を見合わせた。
「痣蟹はここにいますぞオ」
それは先刻《さっき》から、暗闇の中に響いていた青竜王の声に違いなかった。警官隊もキャバレーの客も、言いあわせたようにサッとその声のする方をふり向いた。おお、それこそ覆面の名探偵青竜王なのだ。
「とうとう掴《つかま》えたかね」
と検事は悦《よろこ》びの声をあげて、青竜王に近づいた。
「青竜王!」
人々はそこで始めて、覆面の名探偵を見たのであった。彼はスラリとした長身で、その骨組はまるでシェパードのように剽悍《ひょうかん》に見えた。ただ彼はいつものように眼から下の半面を覆面し、鳥打帽の下
前へ
次へ
全71ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング