に感じたほどだつた。ブル/\と上へ昇つてみると、鼠色のペンキを塗つた幅の狹い梁木が、もう半ば腐りかけてゐた。この次、渡されるまでに、腐り落ちてしまはないかナと、いつも思つたことだつた。
 同じ屋根の下に暮してゐる同僚なのだが、暫く顏を合はせない。そのうちに、向からヒヨツクリやつて來て、急になれ/\しく話を始める。無論親しい同僚のことだから、なれ/\しく話を始めたつて一向不思議でない。しかしそのときこつちでは盛んに喋る同僚の顏を不圖見て、急に駭く。同僚の顏がまだ一度もこれ迄に見たことのない顏に見える。サアさうなると、俄かにその同僚が恐ろしくなる。逃げようとするのだが、逃げられない。全身が竦んでしまつたのだ。恐ろしさに、私はブル/\慄へだすことがある。
「フランケンシユタイン」といふ映畫を見たときのことだ。フランケンシユタイン博士が墓場から盜んで來た澤山の人間の屍體のいい部分だけ集めて、これを接ぎ合はせ、アルプスの最高峯で、何億ヴオルトといふ空中電氣に叩かせると、その寄せあつめの屍體がピク/\と動き出す。遂に博士の研究が成功して、新しい生が始まつたのだ。ところが、この男の腦髓といふのが、恐ろしい殺人犯のものだつたからたまらない。彼は地中の檻を破つて、とび出してくる……といふ場面があるが、このときほど私は恐怖にうたれたことはない。急に足先から膝頭の上まで、ゾーツと冷くなつたので、いかに恐ろしかつたかが判るであらう。
 大正十二年の關東大震災のとき、燒跡にトタンをあつめて小屋を作り、眞暗な夜を寢たことがあつた。疲れてゐるが不氣味で寢られない。そのとき、東の方四五丁先と思はれるところで、イキナリうわツーといふ閧の聲があがり、ドドーン、ドドーンといふ銃聲が俄かに起つた。
(何事か?)
 と思ふ間もなく、人がバラ/\と逃げてきて、小屋の傍をすり拔けていつた。
「いま、こつちへ、襲撃してきます。人がゐることが判ると、この邊に居る者は皆殺されてしまひますから、どんなことがつても[#「どんなことがつても」はママ]聲を出さないで下さい。」
(もう駄目だ。)
 と私は思つた。こんなことで殺されるのかと思ふと、暗闇の中にポタ/\涙が流れでて、頬を下つていつた。死といふものに直面した怖ろしさに、慄へあがつた。
「智者は惑はず、勇者は懼れず」といふ。しかし勇者とても、凡て人間である限り、恐怖は感ずるのだ。唯、恐怖を感じツぱなしで終るのではなく、恐怖は恐怖として置いて、恐怖來るも豈懼れんやと勇氣を奮ひ起すのだと思ふ。そして勇者こそ最も恐怖の魅力といふものを知つてゐるのではなからうかと思ふ。私の如き非勇者の話よりも、勇者の語る恐怖の魅力こそ、眞に聞き甲斐のあるものだらうと考へるのである。
[#地付き]『ぷろふいる』昭和九年五月号



底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会
   2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:「ぷろふいる」
   1934(昭和9)年5月号
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
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