黒との縮緬《ちりめん》の下に入っているものは、実は僕が関係した女たちから、コッソリ引き抜いてきた……」
「オイ星宮君、十一時がきた!」と、此の時横合いから口を入れた大蘆原軍医の声は、調子外《ちょうしはず》れに皺枯《しわが》れていた。

     4



   第三話 大蘆原軍医の話


「それでは私が、今夜の通夜物語の第三話を始めることにしよう」そう云って軍医はスリー・キャッスルに火をつけた。
「川波大尉どののお話といま聞いたばかりの星宮君の話とは全然内容がちがっている癖に、恋愛論というか性愛論というか、それが含まれているところには、一種連続点があるようだ。そこで、私の話も、勢いその後を引継いだように進めるのが、面白いように思う。ところが丁度ここに偶然、第三話として、まことに恰好な物語があるんだ。そいつを話すことにしよう。
 実は今夜、私がここへ出勤するのが、常日頃に似合わず、大変遅れてしまって、諸君に御迷惑をかけたが(と云って軍医は軽く頭を下げた)何故私が手間どったのか、それについてお話しよう。
 今夜七時、私の自宅に開いている医院に、一人の婦人患者がやってきたのだ。美貌《びぼう》のせいもあるだろうが、二十を過ぎたとは見えぬうら若い女性だった。その、少女とでも云いたいような彼女が、私に受けたいというのは、実は人工流産だというんだ。一体、人工流産をさせるには、医学的に相当の理由が無くては、開業医といえどもウッカリ手を下せないのだ。母体が肺結核《はいけっかく》とか慢性腎臓炎《まんせいじんぞうえん》であるとかで、胎児《たいじ》の成長や分娩《ぶんべん》やが、母体の生命を脅《おびやか》すような場合とか、母体が悪質の遺伝病を持っている場合とかに始めて人工流産をすることが、法律で許されてある。若《も》しこれに反して、別段母体が危険に瀕《ひん》してもいないのに、人工流産を施《ほどこ》すと、その医者は無論のこと、患者も共ども、堕胎罪《だたいざい》として、起訴されなければならない。
 さて、その若い女の全身に亙《わた》って、精密な診断を施したところ、人工流産を施《ほどこ》すべきや否《いな》やについて、非常に困難な判断が要ることが判った。それというのが、打ちみたところ、この女は立派に成熟していたが、すこし心神《しんしん》にやや過度の消耗《しょうもう》があり、左肺尖《ひだりはいせん》に
前へ 次へ
全19ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング