疑いもせで、泪《なみだ》を流して僕に感謝したばかりか、記念のためというので、奇妙な彫《ほり》の指環《ゆびわ》まで贈物として僕によこしたじゃないか。そのとき僕は、『御主人には黙っていられた方がいいですよ』と云うことを忘れなかった。心に空虚のあったB子夫人が、その胸に如何なる夢を描いたことやら、また其の夫君《ハズ》が出張にでかけた翌日、偶然のように訪ねていった僕をどんなに歓待《かんたい》したか。女なんか、新しがっても、本当は古い古いものなのさ」
 こう云って星宮学士が、胸の底まで気持よく吸いこんだ煙草の烟を、フーッと静かに吐きだしたが、この話を傍できいていた川波大尉の顔面《がんめん》が、急にひきつるように硬《こわ》ばってきたのに、まるで気がつかないような顔をしていたのだった。
「それから、こんな話もある」と学士は第二話のつづきを又語りはじめるのだった。「こいつは、僕の一番骨を折った女だったが、カッキリ半年も懸った。無論その半年の間、僕はこの女ばかりを覘《ねら》っていたのでは無く、沢山の若い女を猟《あさ》りあるいている其《そ》の片手間《かたてま》に、一つの長篇小説でも書くつもりで、じっくり襲いかかって行ったのだ。その女は、しっかりした家庭に育った九條武子《くじょうたけこ》のようなノーブルなお嬢さんだった。彼女の名前を、仮りにC子(とそう云って、星宮学士は何故かハッと呼吸を止めた)――そう、C子と呼ぼう。この少女は、はちきれるような素晴らしい肉体を持っているのに、精神的には不感性《ふかんしょう》に等しく、無類の潔癖《けっぺき》だった。すべて彼女の背後にある厳格な教育が、彼女をそうさせたのだった。二三度誘ったが、こりゃ駄目だと思った。そのままで賞味《しょうみ》してしまう手段はあったが、それでは充分|美味《おい》しく戴《いただ》けない。そう悟ったので、僕は一夜脳髄をしぼって、最も科学的な方法を案出した。幸い僕は家庭教師として、彼女に数学を教える役目を得たので、それで時々会っては、音楽会に誘った。次は映画の会へ連れてった。その映画も、教育映画から次第にロマンティックなものへ、それから辛《かろ》うじて上演禁止を免れたカットだらけの映画へ、更にすすんではカットのない試写ものへと移って行った。彼女は別に眉を顰《しか》めはしなかった。というのは、この速力が如何にも緩漫だったからだ。映画を
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