そういうが早いか、清子はトランクを両手で持ち上げた。
「なにを云うんだ。横浜《はま》にいちゃ、生命がない。カンカン寅の一味は張り子の人形じゃないぞ」
「生命が危いくらい、あたし知っているわ。でも……でも、あたし死んでもいいのよ、政ちゃんの傍《そば》に少しでも永く居られるなら……」
 清子は憑《つ》かれたような眸《ひとみ》で、私の方に顔を向けた。
 壮平は気が転倒《てんとう》してしまって、一語も発することができないで居る。銅鑼は船内を一|巡《じゅん》して、また元の船首で鳴っていた。出発はもう直ぐだ。
 肚《はら》を決めた私は、イキナリ清子の手からトランクを取った。
「まあ嬉しい。あたし下りてもいいの」
「いや、いけない」
 私は手に持ったトランクをソッと下に下ろした。清子は顔を両手の中に埋《うず》めた。私はトランクの上に静かに腰を下ろした。そしていつまでも動かなかった。銅鑼はもう鳴りやんで、清見丸は静かに動き出した。
 満洲へ、満洲へ……。銀座に別れて満洲へ……。
 それもまた、いいだろう!
 折から、埠頭の方から、リリリリと号外売りの鈴の音が聞えてきた。私の眼底《がんてい》にはその号
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