散に駈け出そうとする鼻先へ、不意に人が現《あらわ》れた。
「オイ政、待った!」
 その声には聞き覚《おぼ》えがあった。これはいかんと引き返そうとすると、後からまた一人が追い縋《すが》った。私はとうとう挟《はさ》み打ちになってしまった。
(しまった!)
 と思ったが、もう遅い。
「政! 妙なところで逢うなア」
 二人は予《かね》て顔馴染《かおなじみ》の警視庁|強力犯係《ごうりきはんがかり》の刑事で、折井《おりい》氏と山城《やましろ》氏とだった。いや、顔馴染というよりも、もっと蒼蠅《うるさ》い仲だったと云った方がいい。
「……」
 私はチェリーを一本抜いて、口に銜えた。
「話がある。ちょっと顔を貸して呉れ」
「話? 話ってなんです」
「イヤ、手間は取らさん」
 刑事は猫なで声を出して云った。
「旦那方」私は真面目に云った。「銀座の金塊《きんかい》は、私がやったのじゃありませんぜ」
「ナニ……君だと云やしないよ」
 刑事は擽《くすぐ》ったそうに苦笑した。恐らくあの有名な「銀座の金塊事件」を知らない人はあるまいが、事件というのは今から十日ほど前、銀座第一の花村貴金属店の飾り窓から、大胆にもそこに陳列してあった九万円の金塊を奪って逃げたという金塊強奪事件《きんかいごうだつじけん》である。犯人は前から計画していたものらしく、人気《ひとけ》のない早朝を選び、飾窓《ショー・ウィンドー》に近づくと、イキナリ小脇に抱《かか》えていたハトロン紙包《しづつみ》の煉瓦《れんが》をふりあげ、飾窓《ショー・ウィンドー》目がけて投げつけた。ガチャーンと大きな音がして、硝子には大孔《おおあな》が明いたが、すかさず手を入れて九万円の金塊を掴《つか》むと、飛鳥《ひちょう》のように其の場から逃げ去った。それから十日目の今日まで犯人は遂に逮捕されない。なにしろ早朝のことだったから、目撃した市民も意外に尠《すくな》い。手懸《てがか》りを探したが、一向に有力なのが集らない。事件は全く迷宮《めいきゅう》に入ってしまった。警視庁は連日新聞記事の巨弾を喰《くら》って不機嫌の度を深めていった。その際に本庁《ほんちょう》の強力犯の二刑事が、はるばる横浜《はま》まで遠征して来たのは、誰が考えたって、ハハア金魂事件のためだなと気がつく。
「そう信用して下さるのなら、話はまた別の日に願いましょう。今夜はこれで、だいぶ更《ふ》け
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