なり、息子さんの懸命の努力に拘らず母を救い出し得ず、そのままとなった由。
◯大正震災のときは、それでもかなり今戸の川ぷちに家が残ったものだ。今度は完全に焼けてしまった。痔の神様ももちろんなし。
◯浅草の田中さん、早期に言問橋を渡って左折し(牛の御前と反対方向)そこで助かった。但しその一廓を残し、ぐるりは焼けた。
◯厩橋の常田久子も、赤ちゃんを背にしてにげ、新大橋の下に何時間もがんばって、ようやく二つの命を拾った由。
◯浅草は稲荷町から上野駅前へかけて焼け残っている。他に人家を見ず。
◯二時間半歩いて上野駅へ達した長蛇のような女工さんの群あり、集団引越だそうな。

 三月二十一日→二十六日
◯朝子を鹿児島へ送っていった。往復六日間、列車に乗りづめ。
◯鹿児島は最近敵機動部隊の来襲を受けたばかりのところで、各家とも城山に横穴掘り、また家財を焼かないための地窖《あなぐら》掘りに忙しい。しかし町はどこも焼けたところを見なかった。人心も東京にくらべればすこぶるのんびりして見えた。
 永田のお父さんとお母さんとで、この忙しさの中に餅をついてくださった。もち粟《あわ》の餅、ことにうまし。お土産にもも
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