か。私はこの点が合点が行かぬ。その予告の下に投下すれば、アメリカ側ももっと寝覚めがいい筈であったろうに。
原子爆弾で広島に起こった地獄図絵を画いて、アメリカはじめ各国へ配ってはどうかと思う。そしてかかる惨虐行為が再び行なわれないようにしたい。
◯私が曳かれることは確実だ。ドイツでは九万人が曳かれた。自分のことは、すでに「死」を思いたったときから覚悟の上だが、わが家族の上に果していかなる悲運が下るであろうか。それを思うと、胸がふさがる。何とか工夫して遁がしたらよいか、隠したらよいか、いや一同泰然として死ぬのがよいのであろう。わが祖先の諸霊も、われらの殉難を見守り給え。われらが万一卑怯なる心を持たんとしたるときには叱責し、且つ激励をなし給え。
九月九日
◯昨八日、米軍初めて帝都内に進駐す。米大使館をはじめ、代々木練兵場、麻布三連隊なり。
◯満州、樺太、朝鮮北部はたいへんな混乱、暴行なりと伝えられる。
九月十二日
◯東条英機大将を戦争犯罪人として米軍が拘引に行ったところ、自殺をはかり失敗。
九月二十四日
◯アメリカ合衆国日本州の感深し。誠に東京は、その感いちじるしきものあり。
しかしアメリカ軍の諸事業(アメリカ軍のためのもの)は、いずれも適切なものばかり。私がかつて戦争中、大いに進言、力説したところのものが、今アメリカ軍によって行なわれるのを見て感慨無量だが、お役人や軍人指導者達もさぞや別の意味で感慨無量であろう。とにかく人間研究を怠り、民生を尊重せず、熊さん八つぁんを奮い立たせるように持って行かないで大戦争を経営した彼らは確かに愚かであった。
十月七日
◯あまり日記を書く気持も起こらない。世情は滔々《とうとう》と移り変わりつつあり。
目下|幣原《しではら》[#喜重郎]内閣陣痛中なり。(十月九日内閣成立)
それよりも気になるのは食糧事情であり、配給はいよいよ微力となった。過日の台風によって本年は稲が遅い開花期をやられて不作確実となり、朝鮮、台湾、満州を失ったのに加えて泣き面に蜂のていである。
庶民は盛んに買出しに出かけるが、その内情を聞けば、預金はもう底が見え、交換物資の衣料、ゴム靴、地下足袋等ももうなくなろうとし、いよいよ行詰まりの一歩手前の観ある。やがては買出しも出来なくなるものと思われる。配給などが適正に行なわれなくなれば、次にくるものは何か。恐るべし。
十月十九日
◯もうほとんど諦めていた徹郎君のことが、本日突然好転した。鹿児島から二通の手紙が来たのである。十月二日と同七日に差出した二通の手紙だ。それによると徹ちゃんは既に鹿児島に帰郷していて、防空壕こわしや薪割りに時間を潰しているとのこと。朝子[#長女]はもちろん無事。だいぶ腹がとび出して来て、まだ生れぬ子供が盛んに動く由。「まあよかった」と、英も大よろこび。誰の口からも歌がとび出す。ここ二ヵ月ぶりのこの通信に、一家は蘇り、笑声も聞こえる。もう安心だ。神棚にみあかしをとぼしてお礼を申上げる。
朝子が上京し得ぬことに英は大残念であるが、今日のあのたいへんな輸送状態では、仕方があるまい。徹ちゃんは近く上京するとある。もうすぐ顔が見られ話が聞けると「腕白弟妹ども」は大よろこびである。
快適な時間を持てるようになったことをしみじみうれしく思う。
十月二十一日
戦災無縁墓の現状が毎日新聞にのっている。
雨に汚れた白木の短い墓標の林立。「無名親子の墓」「娘十四、五歳、新しき浴衣を着す」「深川区毛利町方面殉死者」などと記されている。
仮埋葬は都内六十七ヵ所。既設は谷中、青山のみ。あとは錦糸、猿江、隅田、上野等の大小公園や、寺院境内、空地などに二、三千ずつ合葬
錦糸公園 一万二千九百三十五柱
深川猿江公園 一万二千七百九十柱
を筆頭に、合計七万八千八百五十七柱(姓名判明セルモノ、八千五十三柱)。
十月二十八日
◯光文社の創刊する「光」に、わが文「原子爆弾と地球防衛」出る。
◯過日より清水市の安達嘉一君、鴨の綿貫英助先生、福島県の河野広輝君、長野県の小栗虫太郎《おぐりむしたろう》[#小説家]君来宅。昨夜は清宮博君も来宅、麻雀をす。近頃旧友の来宅ひんぴんたるは、戦争終了の事態をはっきり反映し、うれしともうれし。
十月二十九日
◯イーデン前イギリス外相は二十六日、リーズ大学で次の如く演説した。
「世界は疑いなく非常に危険の只中にあり。原子爆弾の警告があるにもかかわらず、すべての国民はいがみ合っている。第三次世界大戦は、人類の滅亡を意味するであろう」
十一月十四日
◯朝来より血痰ありしが、夜に入りて少々念入りに赤き血を吐く。
十一月十八日
◯徹郎君より長文の手紙来る。目下の心境を綴りて悲憤す。同情にたえず。
◯起きる。喀血はよう
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