よく心得ているというか、おとなしい都民達だ。
 宮益坂を電車はのぼる。「明治天皇御野立所」と書いた神社跡が左にある。この奥の社殿は形もなし、こま狗だかお狐さんかの石像が二つ、きょとんと立っている。
 渋谷郵便局もすっかり焼けたままになっている。一階の事務をとっていたところは、腰板からしてない。あれはコンクリかと思っていたが、木であったことがこれでわかった。
 古本屋もすっかり跡片なし。あの夥しい埃の積んだ本が皆焼けたかと長歎した。新本にちょっとさわると、本のあつかい方がよくないといってえらく叱りつける本屋があったが、この本屋も跡片なし。渋谷から青山の通りを経て赤坂見附まで全くよく焼けたもの。古くからの、そして充実した町であっただけに灰燼《かいじん》に帰した今日、口惜しさがこみあげてくる。
 材木町で下りて、歩き出した。南浦園も外側の支那風のくりぬきのある塀だけが残っている。あの粋な築山《つきやま》も古木も見えず。支那風のくりぬきから中をのぞけば、奥の方に桃色の腰巻が乾してあるのが目についた。僅かに南浦園のかおりがする。
 角に消防署があるところで左へ曲って仙台坂へ出るつもりであるが、行けども行けどもその消防署が見えぬ。そこで心細くなって、右側にバラックを建てて住んでいる家へ声をかけて聞くと、ていねいに教えてくれた。「すっかり焼けて町の様子が変わっていますがな……」とその老人は元気な声で語った。
 消防署は焼けずにあったが、私の考えた二倍以上も道のりがあるように感じたのはふしぎである。そのあたりへ行って、初めて家が焼けないで残っている。その古いごたごたした家並を見ると、なんだか変な気持になった。残ってよかったと思うよりもこれも一緒に焼けてしまえばもっときれいになったろうにと、妙なことをちょっと考えた。焼跡は案外きれいである。そして広々と見晴らせて、明治以前の江戸の土地の面影がしのばれて気持ちがよい。
 岡東の家にたどりついた。すでに朝倉、加藤両氏が到着していて、酒宴が始まっていた。たいへんな御馳走で、目をまわした。酒もかなりある様子。酒を飲まぬ私は、意地きたなく食いすぎて腹をこわすまいぞ、近頃食いなれないものを口にして腹をいためまいぞ、と自分に言い聞かせつつ、いろいろと御馳走になった。
 あとで鳥や肉やの御馳走をそう思い出さず、イカの塩からとトマトの味がひどくうれしく
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