をかけていた。ようやく大きい穴がふさがり、今度は小さい穴にかかっていたが、土が足らないという。
あとは英と晴彦にまかせ、陽子を伴って門の方へ引返す。と、多勢の人が煙の中から門へ入って来た。見ると菅野さん、羽山さん、松原さんたちである。
「どうしました?」「火が迫っています、今のうちに逃げないとあぶない」銀行の支店長をしている菅野さんが言う。
「まだ大丈夫ですよ、頑張れば喰いとめられますよ」「いや、もういけません、佐伯さんの方と、高階さんの方の火とが、両方からこっちへ押して来て、息がつまりそうです」
婦人たちは口々に、早く待避せねばたいへんだとわめいている。私は逃げるつもりはなかった。「それでは家の裏から田中さんの畑へお逃げなさい。あそこなら大丈失ですから」教えてやると、昔ぞろぞろと家の庭を通って姿を消した。十人近い同勢である。松原大佐夫人が無言で、小さい身体を一行のあとに運んでいるのを見た。
その前菅野さんの家は四ヵ所もえあがり、それはようやく消しとめたが、菅野さんは屋根へあがって消火しているうちに屋根からすべりおち、地上にしばらく伸びて口もきけなかった由。それ以来菅野さんは戦意を喪失しているようにみえた。
一同が去ったあと、私たちはなおも火の子と煙と戦っていた。
焼夷弾は幾度となく頭上にまかれたようだが、奮闘している身は、気がつかない。
そのうちに少し明るくなってきた。煙がうすれ、風向きが変わって、呼吸も楽になった。これなら何とか危機を脱せそうだと、やっと希望をもちだしていると、空襲警報の解除が、伝えられてきた。電気はとっくに切れてしまったので、ラジオが鳴らず、口頭伝達である。一時間ばかりが、奮闘の絶頂であった。
あたりはまだ炎々と撚えている。真西は最も盛んだ。あとでわかったことだが、豪徳寺東よりの軍の材木置場が燃えているせいだった。
最も近火だった南の高階さんの向こうの火も余燼《よじん》だけとなった。
一同相寄り「まあよかった」と、よろこぶ。
近所からもそれぞれ顔が出る。いつの間にか皆家へ戻っていて、それぞれの部署を守って敢闘した由。さすが日本人である。
私が「大丈夫、消せます。頑張りましょう!」といった一語が、隣組の人達によほど響いたことがわかった。菅野さんの若い人たちなどは初めから避難反対だったが、両親の命令で一緒に避難したが、私がそう
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