によると西区、天王寺区、大正区等が焼けた由)
◯名古屋も案外たくさん残っている。その前夜また空襲があったのだそうだが、車内で夜を明かした私たちは知らなかった。熱田の辺も、山側は大した被害なし。
◯無事空襲の間をぬけて帰りつく。
◯上海から帰って来たある人の奥さんからパンをもらった。カラカラに乾いたパンであるが、これ一個七十三円という。(奥さんにおにぎり二つ進呈したそのお礼なり)
四月二日
◯今暁、敵大編隊来襲。立川方面へ投弾す。照明弾と時限爆弾を落としたのは今回が初めて。
時限爆弾は三十分位後に爆発する。長いものは翌日になって、どんどんと硝子窓をひびかせて爆発していた。
帝都に被害なし。
四月四日
◯例の丑満時《うしみつどき》、敵大編隊来襲す。はじめ大部分は関東北部へ行ったのであるが、帰りに帝都を北から南へ抜け、低い雨雲の下に眠っている帝都を爆撃した。多くは爆弾。それに時限弾も混入。その上焼夷弾もあった。地響きはする、雨戸、硝子はとびそうに鳴る。このすごい響きは、雨雲が低いためにすごい反響を起したもの。雷鳴のときに似ていた。
感じでは、どうやらうちが中心になっているらしく、東西南北めちゃめちゃに投弾されたように思い、キモを冷やしたが、夜が明けて聞いてみると世田谷に投弾はなく、近いところでも新宿のあたりらしい。今度は横浜、川崎もやられたらしい。渋谷―池袋間も不通。ヨコスカ線は大塚から出ているらしい。桜木町附近相当被害ありし模様。
いつも牛乳を貰いに行く国分寺の牧場も、前のやつに一方をやられ、今度のに反対側をやられ、自分のところだけは安全だったが、すさまじい跡が見えたと、養母が帰って来ての話。
四月七日
◯本日朝七時四十分に警報。「敵大編隊来襲、八時二十分頃本土着のヨテイ」と。
すぐ警戒に立つ。用意万端ととのえたが、敵機は仲々来らず(後で考えると、敵はカムフラージュに錫箔《すずはく》をまいたらしい、そしてそのかげに集結するためかなり時刻がたったらしい)やっと九時半頃百機ばかりの大編隊となって南より北へとぶ。
◯高射砲はかなり南で射撃を開始し、わが家上空に近づいたときには、もう撃ち方やめとなる。
それに代って味方の戦闘機の攻撃は激化し、たちまち一機煙をはきだし、そのうちにふらふらし、空中分解して火の塊となる。万歳を叫ぶ。他の一機も機首を下にして、田
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