脆弱な躰である。
どうして血痰が出るのか。患部に血管が露出していて、それから出血することは分っているが、そこから出血させないようにするにはどうしたらいいのか。何を慎んだらいいのか。
左手を使って高いところへ重いものを持上げることが悪いのは、よく分っている。こんなことは殆んどしない。
なるべく左手を使うこともひかえているが、ときに使う。だが、それは大した使い方ではない故、影響なしと思う。
咳がいけないことは分っている。なるべく咳をしまいとする。しかし咳は自分でとめることは出来ない。咳は胸の中に痰がたまったときとか、咽喉に炎症があるときなど、自然に起るもので、意志の力では停めがたい。
しかし咳が喀血や血痰の基だと思うから、それをむりにも停めようとする。かくて訓練の結果、いくぶんは停められるようになる。
しかしそれは幾分であって、咳がいよいよ出始めると、どうしようもない。それを、同じ咳を出すにしてもなるべく小さい咳を出そうとして苦しい努力をする。修業と同じだ。全くやり切れない。しかし修業を積むと、すこしは咳を緩和出来るらしいことに気をよくして元気を出す。
くさめはいけないと分っている。くさめが出そうになり、いよいよそれが出るまでには若干時間があるので、出そうになると、鼻を指でこすったり、鼻をくすくすいわせたりして、極力くさめをもみ消すのである。これは修練の結果、七割ぐらいは成功。
遂にくさめが出るに及んでも、それを出さないように最後まで抑止する。
その結果、妙な音響を発する。鼻と口とを抑えてくさめをするからである。鼻孔を出来るだけ細くしてくさめをするからである。うっかりきもちよくくさめをすると、そのあとで胸の中で血管が切れやしなかったかと、たいへん心配になり、くさってしまう。
歩くことがいけないのであろうか。歩くと、はあはあ息を切るから、それが肺の活動を大きくしていけないのであろうか。
喋ることの悪いのは、よく分っている。喋れば肺を活動させ、そして咳がつぎつぎに出て、更に肺をゆすぶりあげることになる。
喋りたくはない。しかし病体で引籠り中のところ、親しい友が来てくれればどうしても喋りたくなる。
仕事の方の客は、用談だけだから、短くてすむ。親しい友ほど、長話になる。それだから親しい友と逢うことはさけなければならないことがよく分っている。だが、私はそ
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