か。恐るべし。
十月十九日
◯もうほとんど諦めていた徹郎君のことが、本日突然好転した。鹿児島から二通の手紙が来たのである。十月二日と同七日に差出した二通の手紙だ。それによると徹ちゃんは既に鹿児島に帰郷していて、防空壕こわしや薪割りに時間を潰しているとのこと。朝子[#長女]はもちろん無事。だいぶ腹がとび出して来て、まだ生れぬ子供が盛んに動く由。「まあよかった」と、英も大よろこび。誰の口からも歌がとび出す。ここ二ヵ月ぶりのこの通信に、一家は蘇り、笑声も聞こえる。もう安心だ。神棚にみあかしをとぼしてお礼を申上げる。
朝子が上京し得ぬことに英は大残念であるが、今日のあのたいへんな輸送状態では、仕方があるまい。徹ちゃんは近く上京するとある。もうすぐ顔が見られ話が聞けると「腕白弟妹ども」は大よろこびである。
快適な時間を持てるようになったことをしみじみうれしく思う。
十月二十一日
戦災無縁墓の現状が毎日新聞にのっている。
雨に汚れた白木の短い墓標の林立。「無名親子の墓」「娘十四、五歳、新しき浴衣を着す」「深川区毛利町方面殉死者」などと記されている。
仮埋葬は都内六十七ヵ所。既設は谷中、青山のみ。あとは錦糸、猿江、隅田、上野等の大小公園や、寺院境内、空地などに二、三千ずつ合葬
錦糸公園 一万二千九百三十五柱
深川猿江公園 一万二千七百九十柱
を筆頭に、合計七万八千八百五十七柱(姓名判明セルモノ、八千五十三柱)。
十月二十八日
◯光文社の創刊する「光」に、わが文「原子爆弾と地球防衛」出る。
◯過日より清水市の安達嘉一君、鴨の綿貫英助先生、福島県の河野広輝君、長野県の小栗虫太郎《おぐりむしたろう》[#小説家]君来宅。昨夜は清宮博君も来宅、麻雀をす。近頃旧友の来宅ひんぴんたるは、戦争終了の事態をはっきり反映し、うれしともうれし。
十月二十九日
◯イーデン前イギリス外相は二十六日、リーズ大学で次の如く演説した。
「世界は疑いなく非常に危険の只中にあり。原子爆弾の警告があるにもかかわらず、すべての国民はいがみ合っている。第三次世界大戦は、人類の滅亡を意味するであろう」
十一月十四日
◯朝来より血痰ありしが、夜に入りて少々念入りに赤き血を吐く。
十一月十八日
◯徹郎君より長文の手紙来る。目下の心境を綴りて悲憤す。同情にたえず。
◯起きる。喀血はよう
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