、くたびれ果てて、泥のように眠った。むし暑い夜。

 八月十二日
◯十日米英、首都において緊急会議開催と、朝刊が報じている。和平申し入れが討議されているものと思われる。
 いかなる条件を付したかわからぬが、国体護持の一点を条件とするものらしいことが、新聞面の情報局総裁談などからうかがわれる。
 午後二時迄に、その返答が米英から届くそうだと、新田君が来ていう。
◯とにかく、遂にその日が来た。しかも突然やって来た。
 どうするか、わが家族をどうするか、それが私の非常な重荷である。
◯女房にその話[#家族全員で死ぬこと]をすこしばかりする。「いやあねえ」とくりかえしていたが、「敵兵が上陸するのなら、死んだ方がましだ」と決意を示した。
 それならばそれもよし。ただ子供はどうか?
 子供も、昨日のわが家の集会を聞いたと見え、ある程度の事情を感づいているらしい。「残っているものを食べて死ぬんだ」といったり「敵兵を一人やっつけてから死にたい」という晴彦。
 青酸加里の話まで子供がいう。私はすこし気持ちがかるくなったり、胸がまた急にいたみ出したりである。
 暢彦[#次男]は学校で最近「七生報国《しちしょうほうこく》[#七たび生まれ変わって、国に報いるの意]」という言葉を教わって来たので、しきりにそれを口にする。私も「七生報国」と書いて、玄関の上にかかげた。
◯自分一人死ぬのはやさしい。最愛の家族を道づれにし、それを先に片づけてから死ぬというのは容易ならぬ事だ。片づける間に気が変になりそうだ。しかしそれは事にあたれば何でもなく行なわれることであり、杞憂《きゆう》であるかもしれぬ。

 八月十三日
◯朝、英[#夫人]と相談する。私としてはいろいろの場合を説明し、いろいろの手段を話した。その結果、やはり一家死ぬと決定した。
 私は、子供達のことを心配した。ところが英のいうのに、かねてその事は言いきかしてあり、子供たちは一緒に死ぬことにみな得心しているとのことに、私は愕《おどろ》きもし、ほっとした。そして英からかえって「元気を出しなさいよ」と激励された。
 事ここに決まる。大安心をした。
 しかしそうなると、どっと感傷が湧き出るとともに、さらになお、何かの誤りが責任者の私になきやと反省され、完全に朗かにはなりきれなかった。
 この夜も、よく眠れなかった。

[#この日、海野がしたためた遺書
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