まいにした。
「はいはい、十分にご案内をいたします。少しばかり歩いていただきます。この向うに乗物がありますから……」
 タクマ少年は、僕の手をとって、群衆の中を向こうへとぬけて歩いていった。
「自動車は、ホテルの玄関につけられないのかね」
「自動車、自動車と申しますと、何でございましょうか」
 僕はいやになってしまった。自動車を知らない案内人なんて、じつに心細い話だ。僕はこの少年を赤面させないようにと思って、次のようにいった。
「つまり、僕たちは歩いてばかりいると疲れるから、そこで車がついた乗物に乗って走らせると、疲れもしないし、速いからいいだろうと思うんだが……」
「ああ、お話中しつれいでございますが、乗物のことならどうぞご心配なく。しかしその車がついたとか何とか申しますものは、今思出しましたが、あれは博物館に陳列されているあれではございませんでしょうか。ガソリン自動車とか木炭自動車とか申しまして……」
「えへん、えへん、ああ、もうそんな話はよそうや」
 また博物館が話の中にあらわれた。帽子のことで博物館が出、それから自動車のことで又博物館が出た。察するところ、あんな物はもうとっくの昔に博物館入りをしてしまって、この町では使わなくなっているのだ。いいだすたびに、とんだ恥《はじ》をかく。


   やまと服


「さあ乗物のところへ参りました。これにのりまして、目的地へ急ぎましょう」
 タクマ少年はそういって、前方を指さした。しかしふしぎなことに、目の前は川のようなものがあるばかりで、小型自動車一つ待っていないのであった。ふしぎ、ふしぎ。
「さあ、ようございますか。ご一緒に足をかけましょう。一《ヒ》イ、二《フ》ウ……」
 タクマ少年は右足を出して、川の中へ足をつけようとするので、僕はおどろいて、
「やっ、待った。待ちたまえ」
 と叫んだ。
 タクマ少年は、けげんな顔をして足をひっこめた。
「君。短気《たんき》を起さないがいいよ。川の中へはまって、あっぷあっぷするのは、いい形じゃないよ」
 僕は忠告してやった。
「川ですって。どこに川がありますか」
「タクマ君。君は目がどうかしているらしいね。ほら、目の前に川が流れているじゃないか」
 と、僕は、われわれの立っているところのすぐ下を流れている川を指した。
「ちがいますよ、お客さま。これが乗物でございます。……ああ、そうでしたね。お客さまは遠いところから始めてこの町へいらしったので、この町の乗物をご存じなかったのですね」
「うん、まあそうだ」
「この乗物はたいへん便利に出来ています。つまり長いベルトが動いているのです。道が動いているといってもいいわけです。私たちはあの上へ乗りさえすれば、ベルトが動いて、ずんずん遠くへはこんでくれるのです。さあ乗ってみましょう。一二三で、一緒に乗れば大丈夫ですから。さあ一イ二イ三ン」
 動く道路などというものに始めてお目にかかった僕は、気味がわるくて仕方がなかったけども、思い切ってタクマ君と一緒に、その動く道路へとび乗った。と、ふらふらとたおれかかるのを、タクマ少年は僕の腰をささえてくれたので、幸いにたおれずにすんだ。少年の頭は僕の胸のところぐらいしかない。
 なるほどこれは便利だと、僕は感心した。動く道路の上に立っていると、歩きもなんにもしないのに、どんどんと遠くへいってしまうのであった。これならいくら遠方まで行ってもくたびれることはないだろう。
「さあお客さま。こんどはもう一つ内側の、もっと早く動いている道へ乗りかえましょう」
 タクマ少年は、そういって奥を指して歩きだした。
 なるほど、今僕が乗っている道路のとなりに並んで、ずっと早く動いているもう一つの道路があった。
「ほう、こっちが急行道路だね」
「いや、急行道路は、これからまだもう三つ奥の道路です」
「へえっ、そんなにいくつも変った速力の道路があるのかね」
「はい、みんなで五本の動く道路が並んでいるのです」
 ふしぎな道路があればあるものだ。
「それじゃあ急行道路は、ずいぶん速く動くんだろうな。時速何キロぐらいかね」
「時速五百キロです」
「五百キロ? たいへんな高速だね。それじゃ目がまわって苦しいだろう」
「いえ、第一道路から第二道路へ、それから第三第四第五という風に、順を追って乗りかえて行きますから、平気ですよ。目なんか決してまわりません」
「へえっ、そうかね」
 僕はそういうより外《ほか》なかった。そしてあとはタクマ少年のいうとおりにして、動く道路をぴょんぴょんと一つずつ乗りかえて、ついに急行道路へ乗りうつった。なるほど速い。風が強く頬をうつ。
「うしろへ向いて、しゃがんでいらっしゃれば、わりあい楽ですよ」
 少年は教えてくれた。僕はそのとおりにした。少年の方はなれていると見え、平気で立っている。
「ねえ、タクマ君。一体見物する第一番の名所はどこなのかね」
 僕はたずねた。
「まずこの町の一番高いところへ御案内するのが例になっています。そこへ行けば、魚群《ぎょぐん》が見えます」
「えっ、なんだって」と僕はおどろいた。
 どうもタクマ少年の話は、いちいちおかしい。しかし僕がそれをつっこむと、たいてい失敗してこっちが田舎者あつかいにされる。でも、こんどはタクマ少年をかならずへこますことができると思った。
「ねえ、タクマ君。君は今、魚の群を見物するために、一番高い所へ案内しますといったが、それはいいまちがいだろう。だって、魚は海の中に泳いでいるんだから、それを見物のためには、一番高い所ではなく、一番低いところへ行かなくてはなるまい。え、君。そういう理屈《りくつ》だろう」
 そういって僕は、どうだいといわんばかりに胸をはって少年を見た。
「いや、お客さんのおっしゃることの方が、まちがっていますよ。だってこの町では、下へさがればさがるほど魚はないんですからね」
「深海魚《しんかいぎょ》ならいるんだろう」
「いえ、そこには第一水がなくて土と岩石《がんせき》ばかりです。だから魚はすめやしません。しかし一番上へ行けば、海の中が見えますから、魚も見えるわけです」
「なんだか君のいうことは、ちんぷんかんぷんで、わけがわからないね」
 と、僕はとうとう、さじをなげてしまった。


   海中展望台


 タクマ少年のいうとおりになって、僕はいくども動く道路をのりかえ、どんどんはこばれていった。
 その途中には、トンネルがあったり、明るい商店街があったり、にぎやかなプールがあったり、動く道路の上にしゃがんでて遠くから黙って見ていても一向《いっこう》退屈《たいくつ》でなかった。この二十年後の世界の人々は、みんな幸福であるらしくたいへん明るく見え、そして元気に動いていた。
 動く道路が、螺旋《らせん》のようにぐるぐるまわりをして、だんだん高いところへ登っていくのが分った。
「お客さま。目的地に近づきましたから、そろそろ下りる支度《したく》にかかりましょう」
 タクマ少年は、僕の方をふりかえって、そういうと、腰をかけた僕も急いで腰をあげた。下りそこなっては一大事である。
 うつくしい菫《すみれ》色の大きな星が空に輝いている――と思ったが、それはどうやら燈火《あかり》であるらしい。燈台の灯でもあろうか。かなり高いところにある。その菫色の燈火をめがけて、この動く螺旋形の道路は近づいていくようである。
「さあ、道路をとび越えますよ」
 庭の飛石を飛び越えるように、僕たちは高速道路から低速道路へと渡っていった。そして最後にぴょんと動かない歩道の上に立った。例の菫色の大燈火は、このときちょっと頭上にあった。よく見れば、それは天井についている大きな半球形の笠の中に入った電灯であり、その笠には「海中展望台」という五文字が、気のきいた字体で記されてあった。
「いよいよ来ましたよ。ここが、この町中で一番高いところです。ほら、この標柱《ひょうちゅう》をごらんなさい。『スミレ地区|深度基点《しんどきてん》〇メートル』と書いてあるでしょう」
 そういってタクマ少年は、そこに立っているおごそかな石碑《せきひ》のようなものを指した。
 なるほど、正《まさ》にそのとおりに記されている。
「スミレ地区の深度基点はここだというわけだね。スミレ地区というのは、この町のことかい」
「お客さんはスミレ地区へ見物に来ながら、ここがスミレ地区だということさえご存じなかったんですか」
 タクマ少年は、あきれはてたというような顔つきで僕の方を見上げる。僕ははずかしくて、あかくなった。
「今日はすこし頭がぼんやりしているんでね、とんちんかんなことをいうんだよ」と僕はいいわけをして、「おやおや、深度基点〇メートルはいいが、その脇《わき》に但《ただ》し書《がき》がしてあるじゃないか。『世界|標準海面《ひょうじゅんかいめん》(基本水準面《きほんすいじゅんめん》)下《か》一〇〇メートル』とあるところを見ると、ここは大体のところ、海面下百メートルの地点だということになる。ははあ、それでやっとわけがわかった。ここは海の底なんだな」
「お客さまは、ずいぶん頭がどうかしているんですね。ここが海底にある町だということは、赤ちゃんでも知っていることですよ。一体お客さまはどこからこの町へ来たんですか。海底の町へ来るつもりではなくて、この町へ来たんですか」
「まあまあ、そういうなよ。すこし気分が悪いから、しばらく君は黙っていてくれたまえ。ああ、ちょっと休まないと、頭がしびれてしまう」
 じょうだんではなかった。僕はその場にしゃがんで、額《ひたい》に手をやった。額には、ねっとりと脂汗《あぶらあせ》がにじみ出ていた。
 たいへんなところへ来たものだ、ここは深い海底《かいてい》なのだ。してみると、あのホテルを出てからこっち、空だと思っていたのは空ではなくて、海底の町の天井《てんじょう》だったのか。
 ああ、息ぐるしい、海の底に缶詰になっている身の上だ――と、僕は強《し》いてそのように息ぐるしがってみたが、実はくるしくもなんともなかった。海底に缶詰になっているとは思えないほど、空気はさわやかであり、どこからともなくそよ風がふいて来て額のあたりをなでた。それにバラのようないい香がする……僕の気分は、おかげでだいぶん落ちついて来た。
「大丈夫ですか、お客さま」
 僕が立上ったのを見てタクマ少年は走りよった。
「ああ、もう大丈夫。……見物にかかりましょう」
「本当にいいんですか」とタクマ少年はまだ心配の顔で、僕を前の方へ案内し「ここから海の中が見えるんです。よくごらんなさい。魚や海藻《かいそう》だけではなく、お客さまをおどろかす物がなんか見えるはずですから……」
 僕をおどろかすものとは何のことだろう。僕は水族館の魚のぞきの硝子《ガラス》窓のようなものの方へ顔を近づけた。


   大海底《だいかいてい》


 僕は目を見はった。
 大きな硝子《ガラス》ばりの窓を通して、眼下にひらける広々とした雄大《ゆうだい》なる奇異《きい》な風景! それは、あたかも那須高原《なすこうげん》に立って大平原《だいへいげん》を見下ろしたのに似ていたが、それよりもずっとずっと雄大な風景であった。鼠色《ねずみいろ》の丘がいくつも重《かさ》なり合って起伏《きふく》している。それから空を摩《ま》するような林が、あちらこちらにも見える。
 と、その林がとつぜんゆらゆらと大きくゆれるのであった。すると林の中から、まっ黒な颶風《ぐふう》の雲のようなものが現われ、急行列車のようなすごいスピードで走る――と見えたは、よく見れば何千何万という魚群《ぎょぐん》なのであった。そしてうしろの林、これは、ポプラの木に似ているが実はそうではなく、大きな昆布《こんぶ》の林だということが分ってきた。
 雲のような魚群が、左から右からとぶっちがい、あるいはとつぜん空から舞い下りて来るように見えたり、あるいはまた急にすぐ前の硝子ばりの向こうを嵐のように過ぎて、まるでトンネルの中へ入ったようにしばらくは何にも見えなくなることもあった。すばら
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