《ししん》のようなものが並んでついていた。
 辻ヶ谷君は、その器械の横についている小さい汽船の舵輪《だりん》のようなものにとりついて両手を器用にうごかし、からんからんと輪をまわした。すると器械の壁が、計器の下のところで引戸のように横にうごくと、そこに人の入れるほどの穴があいた。
「本間君。その中へ君は入るんだよ」
「えっ、この中へ……」
「そうだ。それが時間器械なのだ。それはタイム・マシーンとも航時機《こうじき》ともいうがね、君がその中に入ると、僕は外から君を未来の世界へ送ってあげるよ。君は、何年後の世界を見物したいかね。百年後かね、千年後かね」
 百年後? 千年後? 僕はそんな遠い先のことを見たいとは思わない。そんな先のことを見てびっくりして気が変になったらたいへんである。それよりはわりあい近くの未来の世の中が、どうなっているか見たいものである。僕は考えた末、辻ヶ谷君にいった。
「二十年後の世界を見たいんだ」
「二十年後か。よろしい。じゃあ入口の戸をしめるぞ。じゃあ、よく見物して来たまえ、さよなら」
「あ、辻ヶ谷君。一時間たったら、今の世界へもどしてくれたまえね」
 僕はそういったがすでに辻ヶ谷君はがらがらと引戸をしめにかかっていたので、その音に僕の声はうち消されて辻ヶ谷君の耳にはとどかなかったようである。さあ困ったと不安が再び僕の上にはいあがって来た。
 いや、その不安よりも、もっと大きい不安が今僕の上に落ちてきた。それは、ばたんと閉じこめられたこのタイム・マシーンの中だ。
 それは卵の中へ入ったようであった。卵|形《かた》の壁だ。それが鏡になっているのだ。僕の顔や身体が、まるで化物《ばけもの》のようにその鏡の壁にうつっている。僕がちょっと身体をうごかすと、鏡の中では、まるで集団体操をやっているようにびっくりするほど大ぜいの化物のような僕の像がうごいて、同じ動作をするのであった。不安は恐怖へとかわる。
「おい、辻ヶ谷君。ここから僕を出してくれ。困ったことができたのだ。早く出してくれ」
 僕は鏡の壁を、うち叩いた。だが辻ヶ谷君の返事は聞えない。僕はのどがはりさけるような声を出して、鏡の壁をどんどん叩きつづけた。
「おほん。何か御用でございましょうか」
 聞きなれない声が、後にした。
 僕はぎくりとして、後をふりかえった。
 ああ、そのときのおどろきと、そしてここに書きつづることができないほどの奇妙な気持ち! 僕はいつの間にか、りっぱな大きな部屋のまん中に突立っていたのだ。
 そして僕の前に立っているのは、燕尾服《えんびふく》を着た、頭のはげた、もみあげの長い、そして背の高いおじさんだった。
「ああ、おじさん。今日は。僕は辻ヶ谷君の紹介で、二十年後の世界を見物に来た本間という少年ですがね……」
 と僕が名のりをあげると、そのおじさんは顔をでこぼこにして、
「ご冗談《じょうだん》を。へへへへ」と笑った。
 僕は、なにを笑われたのか分らなかった。
「失礼でございますが、あなたさまが少年とはどう見ましても、うけとりかねます」とその老ボーイらしき燕尾服《えんびふく》の人物が言った。そして美しいクリーム色の壁にかかっている鏡の方へ手を傾《かたむ》けた。
 僕は、何だかぞっとした。が、その鏡の中をのぞいてみないではいられなかった。僕はその方へ足早によった。
 僕はびっくりした。鏡の中で顔を合わせた相手は、どことなく見覚えのある顔付《かおつき》の人物だった。年齢の頃は三十四五にも見えた。鼻の下にぴんとはねた細いひげをはやしている。僕が顔をしかめると、相手も顔をしかめる。おどろいて口をあけると、相手も口をあける。ますますおどろいて手を口のところへ持っていくと、相手もそうするのだった。僕はあきれてしまった。僕は少年にちがいない。それだのに、なぜこの鏡の中には釣針《つりばり》ひげの大人の顔がうつるのであろうか。
「こののちは、どうぞご冗談をおっしゃらないようにお願い申上げまする。そこでお客さま。どうぞお早く御用をおっしゃって下さいませ」
 老ボーイは、姿勢を正し、眼を糸のように細くし、鼻の穴を真正面《ましょうめん》にこっちへ向けて小汽艇《しょうきてい》の汽笛のような声でいった。
 とつぜん僕の頭の中に、電光のようにひらめいたものがあった。それは辻ヶ谷君にさようならをいってから、一足《いっそく》とびに早くも二十年後の世界へ来てしまっているのだ。したがって僕自身も、一足とびに二十年だけ年齢がふえてしまったのだ。だから鏡の中からこっちをじろじろみているあのきざ[#「きざ」に傍点]な釣針ひげのおとなこそ正《まさ》しく二十年としをとった僕のすがたなのであろう。
 そう思って、手を鼻の下へやると、指さきに釣針ひげがごそりとさわった。
「はっはっはっはっ」と、僕はとうとうたまらなくなって、腹をゆすぶって笑い出した。二十年たったら、僕はこんなきざな男になるのかと思うと、おかしくて、笑いがとまらない。
 笑っているうちに、また気がついたことが一つある。
(とにかく僕はもう二十年後の世界へ来てしまっているんだから、その気持になって万事《ばんじ》しなければならない。あの老ボーイに対しても、こっちはお客さまで、大人だぞというふうに、ふるまわなければいけない)
 それはちょっとむずかしいことであったが、この際もじもじしていたんでは、みんなにあやしまれて、かえって苦しい目にあわなければなるまい。
「やあ。わしはちょっと町を見物したいのである。誰か、おとなしくて話の上手《じょうず》な案内人を、ひとりやとってもらいたい」
「はあ」と老ボーイは、しゃちこばって、うやうやしく返事をした。
「それからその案内人が来たら、すぐ出かけるから、乗物の用意を頼む」
「はあ、かしこまりました」
「それだけだ。急いでやってくれ」
「はあ。ではすぐ急がせまして、はい」
 老ボーイは部屋を出て行こうとする。そのとき僕は、また一つ気がついたことがある。
「おいおい、もう一つ頼みたいことがあった」
「はい、はい」
「あのう、ちょっと腹がへったから、何かうまそうなものを皿にのせて持ってきてくれ」
「はあ、かしこまりました」
「これは一番急ぐぞ」
 そのように命じて、僕はにやりと笑った。しめしめ、これですてきなごちそうにありつける。さてどんなごちそうを持って来るか……。


   タクマ少年


 老ボーイが持って来たごちそうのすばらしさ。それは山海《さんかい》の珍味づくしだった。車えびの天ぷら。真珠貝の吸物、牡牛《おうし》の舌の塩漬《しおづけ》、羊肉《ひつじにく》のあぶり焼、茶の芽《め》のおひたし、松茸《まつたけ》の松葉焼《まつばやき》……いや、もうよそう。いちいち書きならべてもしようがないから。
 僕は、これ以上お腹がふくらむと破けるところまでたべた。そのとき老ボーイが又やって来た。
「旦那さま。案内人が参りましてございます」
 ようやく案内人が来たか。
「よろしい。では、すぐこれから出かける。あのう、帽子とオーバーとを持ってきてくれ」
 ほんとうのところ、僕は自分の帽子やオーバーがこのホテルに預けてあるかどうか知らなかった。しかしこうなった以上は、なんでもかんでも知ったかぶりで、じゃんじゃんものをいう方がいいと思った。
 でないと、もしもこの僕が時間器械を使ってこの町へもぐりこんだ怪しい客だと知れたときには、この老ボーイを始めホテルの支配人以下[#「以下」は底本では「以外」]は大憤慨《だいふんがい》をして、僕を外へ放りだすことであろう。そのあとは更に悪化して、僕は警察のごやっかいになるかもしれない。そんなことがない方がいい。だから出来るだけ僕は落着きはらっていなければならない。そして何でも心得ているような顔をしていなければならないのだ。
「お帽子と御オーバー?」
 老ボーイはふしぎそうに僕の顔を見返した。
「はて、そんなものはここにはございませんが、もし特に御入用《ごいりよう》でございましたら、早速《さっそく》博物館へテレビジョン電話をかけまして、旦那さまのお好みのものを貸出してもらうことにいたしましょう」
 僕はそれを聞いてびっくりした。博物館から帽子やオーバーを借出さねばならぬとは一体何事であろうか。帽子店や洋服店はないのであろうか。――いや待てよ。帽子やオーバーがそれほど古くさいものなら、それをかぶったり着たりして歩いては、皆に笑われるのかもしれない。
「ああ、もう帽子もオーバーもいらないよ。実は僕はすこし風邪《かぜ》気味なのでね、外は寒いだろうから温くしようと思ったんだが、急に今気持ちが直って来たから、もう帽子もオーバーもいらない」
 僕は苦しいいいわけをした。老ボーイはきょとんとした顔であった。僕のいうことが通じないらしい。
 もっとも後で分かったことだが、この町は、家の中も往来も、温度はいつも同じの摂氏十八度に保たれていた。
「では、出かける」
 僕が部屋を出て行こうとすると、老ボーイは夢からさめたような顔をして、先に立った。
 ホテルの帳場は、はじめて見たが、宮殿のようにすばらしい構えであった。その中からちょこちょこと一人の少年が走り出た。顔の丸い、ほっぺたの紅い、かわいい子供だった。全身を、身体にぴったりと合う黄色いワンピースのシャツとズボン下で包んでいた。かわいそうに、この子は貧乏で、服が買えないのであろう。
「あい、旦那さま。それなる少年が、案内係のタクマ君でございます。おいタクマ君、おそまつのないように十分ご案内をするんだよ」
 老ボーイはそういって少年をひきあわせた。
「こんにちは、お客さま。ではどうぞこちらへおいで下さい」
 そういってタクマは僕を玄関から外に連れだした。
 僕はそこで、おびただしい人通りを見た。ホテルの前はにぎやかであった。行き交《か》う多くの人々は、いいあわせたように帽子もかぶっていなければ、オーバーも着ていない。そしてタクマ少年のように身体にぴったりあった上下のシャツを着て、平気で歩いていたのだった。それを見た僕の方が顔をあかくしたほどであった。
「この町には、貧乏な人が多いと見えるね」
 僕は、案内係のタクマ少年にそういった。
「ええっ、貧乏ですって。貧乏というのはどんなものですか」
 少年は貧乏でいながら、貧乏というものを知らないらしい。なんてのんきな少年だろう。
「だって君。こう見渡したところ、町を歩いている人たちは服も着ないで、シャツとスボン下だけしかつけていないじゃないか」
 君もその一人で、シャツとズボン下だけしか身体につけていないじゃないか――といいたいのを僕は遠慮して、このホテルの玄関の前を通行する人々だけを指していったのだ。
 するとタクマ少年は、目を丸くして僕の顔を見、それから通行人たちの姿を見て、声をあげて笑った。
「お客さんは、ずいぶん田舎からこの町へお出でになったんでしょうね。だからお分りにならないのも無理はありませんが、あそこを通っている人たちも私も、一番りっぱな服を着ているのでございます」
「一番りっぱな服だって。でもシャツとズボン下とだけではねえ」
「よくごらん下さい。これは一番便利で、働くのに能率のいい『新やまと服』なんです。身体にぴったりとついていて、しかも伸《の》び縮《ちじ》みが自在《じざい》です。保温がよくて風邪もひかず、汗が出てもすぐ吸いとります。そして生まれながらの人間の美しい形を見せています。私たち若いものには、この服が一番似合うのです。お客さんのお年齢《とし》ごろでも、きっと似合うと思いますから、なんでしたら、後でお買いになっては、如何ですか」
 お客さんの年齢《とし》ごろ――といわれたので、僕は自分が時間器械に乗ってこの国へ来てからこっちいっぱしの大人の形となり、髭《ひげ》まで生えていたことを思い出した。
「なるほど。わしは田舎から来たばかりなんで、この町のことはよく分らんのだ。それで君に案内を頼んだわけさ。はっはっはっ」
 僕は笑いにまぎらせて、たいへん進歩した、新やまと服の議論をおし
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