書きつづることができないほどの奇妙な気持ち! 僕はいつの間にか、りっぱな大きな部屋のまん中に突立っていたのだ。
 そして僕の前に立っているのは、燕尾服《えんびふく》を着た、頭のはげた、もみあげの長い、そして背の高いおじさんだった。
「ああ、おじさん。今日は。僕は辻ヶ谷君の紹介で、二十年後の世界を見物に来た本間という少年ですがね……」
 と僕が名のりをあげると、そのおじさんは顔をでこぼこにして、
「ご冗談《じょうだん》を。へへへへ」と笑った。
 僕は、なにを笑われたのか分らなかった。
「失礼でございますが、あなたさまが少年とはどう見ましても、うけとりかねます」とその老ボーイらしき燕尾服《えんびふく》の人物が言った。そして美しいクリーム色の壁にかかっている鏡の方へ手を傾《かたむ》けた。
 僕は、何だかぞっとした。が、その鏡の中をのぞいてみないではいられなかった。僕はその方へ足早によった。
 僕はびっくりした。鏡の中で顔を合わせた相手は、どことなく見覚えのある顔付《かおつき》の人物だった。年齢の頃は三十四五にも見えた。鼻の下にぴんとはねた細いひげをはやしている。僕が顔をしかめると、相手も顔をしかめる。おどろいて口をあけると、相手も口をあける。ますますおどろいて手を口のところへ持っていくと、相手もそうするのだった。僕はあきれてしまった。僕は少年にちがいない。それだのに、なぜこの鏡の中には釣針《つりばり》ひげの大人の顔がうつるのであろうか。
「こののちは、どうぞご冗談をおっしゃらないようにお願い申上げまする。そこでお客さま。どうぞお早く御用をおっしゃって下さいませ」
 老ボーイは、姿勢を正し、眼を糸のように細くし、鼻の穴を真正面《ましょうめん》にこっちへ向けて小汽艇《しょうきてい》の汽笛のような声でいった。
 とつぜん僕の頭の中に、電光のようにひらめいたものがあった。それは辻ヶ谷君にさようならをいってから、一足《いっそく》とびに早くも二十年後の世界へ来てしまっているのだ。したがって僕自身も、一足とびに二十年だけ年齢がふえてしまったのだ。だから鏡の中からこっちをじろじろみているあのきざ[#「きざ」に傍点]な釣針ひげのおとなこそ正《まさ》しく二十年としをとった僕のすがたなのであろう。
 そう思って、手を鼻の下へやると、指さきに釣針ひげがごそりとさわった。
「はっはっはっはっ」と、僕はとうとうたまらなくなって、腹をゆすぶって笑い出した。二十年たったら、僕はこんなきざな男になるのかと思うと、おかしくて、笑いがとまらない。
 笑っているうちに、また気がついたことが一つある。
(とにかく僕はもう二十年後の世界へ来てしまっているんだから、その気持になって万事《ばんじ》しなければならない。あの老ボーイに対しても、こっちはお客さまで、大人だぞというふうに、ふるまわなければいけない)
 それはちょっとむずかしいことであったが、この際もじもじしていたんでは、みんなにあやしまれて、かえって苦しい目にあわなければなるまい。
「やあ。わしはちょっと町を見物したいのである。誰か、おとなしくて話の上手《じょうず》な案内人を、ひとりやとってもらいたい」
「はあ」と老ボーイは、しゃちこばって、うやうやしく返事をした。
「それからその案内人が来たら、すぐ出かけるから、乗物の用意を頼む」
「はあ、かしこまりました」
「それだけだ。急いでやってくれ」
「はあ。ではすぐ急がせまして、はい」
 老ボーイは部屋を出て行こうとする。そのとき僕は、また一つ気がついたことがある。
「おいおい、もう一つ頼みたいことがあった」
「はい、はい」
「あのう、ちょっと腹がへったから、何かうまそうなものを皿にのせて持ってきてくれ」
「はあ、かしこまりました」
「これは一番急ぐぞ」
 そのように命じて、僕はにやりと笑った。しめしめ、これですてきなごちそうにありつける。さてどんなごちそうを持って来るか……。


   タクマ少年


 老ボーイが持って来たごちそうのすばらしさ。それは山海《さんかい》の珍味づくしだった。車えびの天ぷら。真珠貝の吸物、牡牛《おうし》の舌の塩漬《しおづけ》、羊肉《ひつじにく》のあぶり焼、茶の芽《め》のおひたし、松茸《まつたけ》の松葉焼《まつばやき》……いや、もうよそう。いちいち書きならべてもしようがないから。
 僕は、これ以上お腹がふくらむと破けるところまでたべた。そのとき老ボーイが又やって来た。
「旦那さま。案内人が参りましてございます」
 ようやく案内人が来たか。
「よろしい。では、すぐこれから出かける。あのう、帽子とオーバーとを持ってきてくれ」
 ほんとうのところ、僕は自分の帽子やオーバーがこのホテルに預けてあるかどうか知らなかった。しかしこうなった以上は、なんでもかんで
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