いたが、そういう場合、階級の上の警視に指揮権があったので、彼に手伝って苅谷夫人を自動車に搬び入れる手伝いをし、そして敬礼をしてお送りしたのだった。平常割切れる答を出すように習慣づけられた幾人かの彼らは、警視が苅谷夫人を他へ移して、烏啼天狗の誘拐行為に対抗するのだと考えた。
ここまでいえば、警視は怪賊烏啼天狗の変装せるもの、後に随った二人の警部補は彼の二人の部下であったと、今更ことわるまでもないであろう。実に賊烏啼は極めて楽々と苅谷夫人を誘拐し去ったのである。
それはまことに見事なプレーであったが、それでは名探偵袋猫々先生の面目はいずくにか在る?
だが、このとき袋猫々探偵は得意の絶頂にいた。なぜならば、彼は巧みに苅谷夫人の代役をつとめていたからである。別言すれば、烏啼が苅谷邸から攫《さら》っていったのは、姿こそ繭子夫人であったが、その中身に至っては当の夫人ではなく、実は猫々先生であったのである。名探偵の打った手は見事に成功したといわねばならない。そして当の夫人の身柄は、既に某所《ぼうしょ》に移されて居り、そこにおいて安全静穏な生活を営んでいる現況だった。
夫人代役が苅谷邸を去ってから数分後、苅谷氏は探偵猫々とのかねての打合せにより、悲痛なる呻《うめ》き声と共に、「家内を奪われた、家内を取戻してくれエ」と騒ぎ立てたし、同席の警官たちにもその職務柄かの贋警視《にせけいし》一行の闖入《ちんにゅう》脱出について騒ぎ立てたのである。それから騒ぎは検察本部へ波及し、それから賑《にぎや》かにラジオ、テレビジョン、新聞の報道へ伝播《でんぱ》し、それから満都の人々へこの愕くべき誘拐事件が知れ亘《わた》り、騒ぎが拡大して行ったのである。
「美貌花をあざむく繭子夫人の失踪《しっそう》後、ここに第三日を迎えた。しかし依然としてその手懸りはない。夫人の生命は今や絶対に危殆《きたい》に瀕《ひん》している。本社は、今より二十四時間以内に問題の繭子夫人の隠匿《いんとく》場所又はその生死を確かめて本社調査部迄密報せられたる方に対し、懸賞金一万円を贈呈する!」
右は某新聞の記事であるが、この記事からも窺《うかが》われる如く、事件発生三日目に至るも繭子夫人の消息は判明せず、この事件を話題として満都は沸き立っている。
その中に平静なる朝の湖面の如き者は、苅谷氏只ひとりだった。
氏は夫人失踪の
前へ
次へ
全9ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング