う》)
 が始まった。赤と白とのだんだらの玩具《おもちゃ》の兵隊の服を着、頬っぺたには大きな日の丸をメイク・アップした可愛《かわ》いい十人の踊り子が、五人ずつ舞台の両方から現れた。
 タッタラッタ、ラッタッタッ。
 ラッタラッタ、タッタララ。
 踊り子たちは、恰《あたか》も木製の人形であるかのようにギゴチなく手足を振った。
(おお、このなかに、義眼を入れた女が居るか?)
 眼を見張ったが、こう遠くては判らない。と云って今さら舞台の前のカブリツキまで出られないし、たとい出てみたところで何しろ小さい眼のことだ。義眼と判るとまで行くまい。
 QX30[#「30」は縦中横]の笹枝弦吾《ささえだげんご》は、呆然《ぼうぜん》として舞台の上に踊る彼女達を見入った。
 そのとき彼の眼底《まなぞこ》に映った一人の踊り子があった。その踊り子は、他の九人と同じように調子を揃えて踊っているのであるが、何だかすこし様子が変である。
 どう変なのかと、尚《なお》も仔細《しさい》に観察をしていると、成程《なるほど》一つのおかしいことがある!
 その踊り子は頭を左右に、稍《やや》振《ふ》りすぎる嫌いがあるのだ。
 いや、もっと別の言葉で云うことが出来ると思う。――その踊り子は首を左に傾《かたむ》けているうちに、急に驚いたように首を右に傾《かたむ》け直すのだった。首を、その逆に右から左へ傾け直す行動《モーション》は自然に円滑《えんかつ》に行われるのだった。唯《ただ》左に曲っている首を右に傾け直すときに限り、非常に不自然な行動《モーション》が入った。
 もっと別の言葉で云える。つまりそんな不自然な行動も左の眼が悪いからこそ起るのだ。左の眼が悪いときは、悪い方の眼は見えないから右の一眼《いちがん》で前面《ぜんめん》を見ることになる。そのためには顔を正面に向けていたのでは、左の方が見えない。それを補うためには右の眼を身体の中心線の方に寄せる必要がある。その時に顔を曲げねばならぬ。このとき人間は首を左へ曲げる!
 左眼の悪い人間は、つまり、常に左に首を曲げている。しかし踊り子がいつも左へ傾いた顔をしていたのでは美感《びかん》上困る。そこで気のつく度《たび》に、ヒョイと首を逆にひねる。この場合、右へは、右へ振ったが振りすぎて人目《ひとめ》を引くようになる。そして踊っている裡《うち》に、つい習慣が出て首が自然に
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