ですわ、あんまりですわ。――」
ミチミは子供のように声をあげて、その場に泣き伏した。
杜は、曾《かつ》て知っていたミチミとは別の成熟した若い女が、彼の前で白い頸を見せ、肩を慄《ふる》わせて泣いているように思った。それはなんとはなく、彼の心に或る種の快感を与えるのであった。
ミチミは、泣き足りてか、やがて静かに身体を起した。両の袂を顔の前にあて、その上から腫《は》れぼったい瞼を開くような開かないようにして、杜の方を見た。
「――覚えてらっしゃい」
ミチミは、たった一言云って、膝を立てて立ち上ろうとした。しかし彼女はヨロヨロとして畳の上に膝をついた。
「ウム、――」
そのとき杜は、不思議なものを見た。ミチミの白い脛《すね》の上から赤い糸のようなものがスーっと垂れ下ってきて、脛を伝わって、やがてスーっと踝《くるぶし》のうしろに隠れてしまった。血、血だ!
見れば畳の上にも、ポツンと赤い血の滴りが滾《こぼ》れているではないか。杜はドキンとした。
「おい、ミチミ待て――」
ミチミはそれが聞えぬらしく、外へ出てゆきかけたが、何を思ったか、また引返してきて、杜の前に突立った。そしてまるで別人のような態度で、恰《あたか》も命令するかのように、
「さあ、これからあたしと一緒に行くのよ。あたしのうちに行って、そしてあたしの奪われているものを、貴郎《あなた》に手伝ってもらって取返すのよ。そしてあたしは、どうしても貴郎から離れないようになるのよ。さあ行ってよ、早く――」
杜はミチミの意外な力に引張られて、やがて家を後にした。
ミチミは道々、杜にくどくどと説いた。
ミチミがどうしても有坂――長髪の青年のこと――から離れられないわけは、彼のためにミチミの所有になる或る重大なる秘密物品が有坂の手によって保管されていることだ。それを取戻さない限り、有坂の許を離れるわけにはゆかない事情がある。有坂の手から、ぜひそれを取返さなければならないが、その品物は彼女のバラックの屋根の下にある一つの壊れた井戸の中に、大きな石に結びつけて綱によって垂らしてある。ミチミの手では、この重い石をどうしても引上げられないから、今夜杜に手伝って貰いたい。――というのである。
杜は承知の旨《むね》を応《こた》えた。
12[#「12」は縦中横]
ミチミの住居《すまい》は、隅田川の同じ東岸
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