線で模様がついていた。
隅のところに、上から見ると三角形になっている隅の飾戸棚があった。目賀野はその戸棚の硝子戸《ガラスど》をあけた。洋酒壜が並んでいた。
その中は、瓢箪《ひょうたん》を立てたような青い酒壜があった。目賀野はその酒壜の首を掴《つか》むと外に出し、もう一方の開《あ》いた手を戸棚の奥へ差入れた。そして何か探しているらしかったが、すると突然、裸体画のはいった大きな額縁《がくぶち》が、ぐうっと上にあがったと思うと、そのあとにぽっかりと四角い穴が開いた。そしてその穴の中に、地下室へ続いているらしい階段の下り口が見えた。
「臼井。その鞄を持って、こっちへ下りて来てくれ。鞄は大切に取扱うんだぞ」
「はい、承知しました」
目賀野のあとについて、臼井は鞄を持って秘密の階段を下へ降りていった。
下には十坪ほどの秘密室があった。この外にも倉庫や地下道や抜け穴などがあった。目賀野自慢のものであった。
「さあ、鞄をここへ載せて……そしていよいよ赤見沢博士|謹製《きんせい》の摩訶《まか》不思議なる逸品《いっぴん》の拝観と行こうか」
目賀野は、童のようににこにこ顔だ。
臼井が鞄を卓上へ載せる。
「開いていいですね」
「ああ、あけてくれ。丁重《ていちょう》に扱《あつか》えよ」
「はあ」
臼井は、鞄についている金色の小さい鍵を使って、そのスーツケースを開いた。
鞄の中には杉の角材《かくざい》と見えるものが四本と、新聞紙と見えるものが十四五枚とが入っていることは、さっき調べたとおりであった。
「さっきは、ひやひやしたよ。これを調べているうちに一件がもそもそ動き出しやしないかなあと思ってね」
「はあ」
「とにかく、ひどく心配させたが、これをこっちへ引取ることが出来たのは非常な幸運だった。――いや、君の骨折《ほねおり》も十分に認める。さあ、その材木みたいなものを、外に出したまえ。そっと卓子へ置くんだよ。乱暴に扱うと、急に跳ねだすかもしれないからなあ」
目賀野は、なんだか訳のわからない無気味なことを喋《しゃべ》って大恐悦《だいきょうえつ》の態《てい》であった。
臼井は、鞄の中から角材を出した。四本とも皆出して、卓子の上にそっと置いた。また新聞紙も皆出した。鞄の中は空っぽになった。
「さあ、これでいい訳だ。おい臼井、その鞄を閉じてくれ」
目賀野の命令どおり、臼井は鞄の蓋をばたんと閉めた。
目賀野の顔は、いよいよ緊張に赭味《あかみ》を増した。彼の目は鞄に釘《くぎ》づけになっている。
が、そのうち彼の目は疑惑に曇《くも》りを帯《お》びて来た。
「どうもおかしい。鞄はおとなしい。おかしいなあ。……ああ、そうか。臼井。その鞄に鍵をかけてみろ」
臼井は命ぜられるとおりに、鞄の錠に鍵を入れて、錠を下ろした。
鞄は卓上に於て、再び熱烈な目賀野の視線を浴びることとなった。
四五分経つと、目賀野の顔がすこし蒼《あお》ざめた。彼は鞄の傍へ寄ると、いきなり鞄を持上げ、力いっぱい振った。
それがすむと、彼は鞄をもう一度、そっと卓子の上へ置いた。それから、じっと鞄を注視《ちゅうし》した。
彼は小首をかしげた。
もう一度鞄を抱きあげると、上下左右へ激しく振った。それがすむと、卓子の上へ戻した。但しこんどは鞄を横に寝かせて置いた。
彼は腕組をして、鞄を睨据《にらみす》えた。
一分二分三分……彼の顔は硬《こわ》ばった。と、彼はその鞄を手にとるが早いか、どすんと臼井の足許へ投げつけた。
「な、なにをなさるんです」
臼井の顔も蒼くなった。
「ばかッ。この鞄は、ただの鞄じゃないか。こんなものをありがたく受取って来て、どうするつもりか」
目賀野は、満身|朱盆《しゅぼん》のようになって、臼井を怒鳴《どな》りつけた。
「ただの鞄だと断定するのは、まだ早すぎると思います。もっとよく研究してみるべきではないでしょうか」
「駄目だ。これだけ色々とやってみても、がたりともせんじゃないか。ただの鞄に過ぎないことは明白《めいはく》だ。赤見沢博士謹製のものならこんなことはない」
「おかしいですね。……博士はこの鞄と共に警察署へ保護されていたんで、間違いはない筈なんですがね。それとも……」
と、臼井はしばらく自分のおでこを指先でつまんで考えこんでいたが、そのうちに彼は指を角材の方へ指した。
「ああ、これだ。この杉の角材ですね。この中に博士の仕掛があるのですよ。閣下の御註文《ごちゅうもん》のとおり鞄にして置くと目に立つという心配から、仕掛はこの角材の中に秘《ひ》めて邸から持ち出されたんじゃあないでしょうか。いや、それに違いないです。そうでもなければ、ねえ閣下、鞄の中に杉の角材などを大事そうに収《しま》っておくわけがないですよ」
臼井は、勇敢なる説を立てて、目賀野を説服《せっぷく》にかかった。
「杉の角材の中に仕掛があるというのか。それはどうも信ぜられないね。しかし念のためだ、調べてみろ」
目賀野は臼井を督励《とくれい》して、四本の杉の角材を手にとるやら耳のところまで振ってみるやら、それから目方を考えてみるやらして、さまざまな診察を試みたが、その結果は、杉の角材であるという以外の化物ではなさそうであった。
「貴様のいうことは出鱈目《でたらめ》だ」
目賀野は再び激昂《げきこう》に顔を赭《あか》くし始めた。
「待って下さい。博士の仕掛は、この角材の中にしっかり入っているんでしょうから、この角材を鉈《なた》で割ってみましょう」
臼井は、部屋の隅の函《はこ》の中から鉈を出して来て、角材をぽかりと縦《たて》に二つに割った。それから中を調べた。が、それは杉の角材であるに十分であったが、他の何物をも隠していなかった。
臼井は、次々に残りの角材をぽかりぽかりと割ってみた。すべては、只の角材であるという以外に、何の新発見もなかった。
「それ見ろ。なんにもないじゃないか。貴様は恩知らずだ。底の知れない鈍物《どんぶつ》だ。ああ貴様のような奴は、もうわしのところへは置いておけない。とっとと出て行け」
不意討《ふいうち》
臼井の顔が、酒に酔った人のように真赤になる。目賀野の顔色はすごいまでに蒼《あお》い。
「こんなにまでして貴方に尽《つく》しているのが分らんですか」
臼井が残念そうに声をふり絞った。
「わしの命令から逸脱《いつだつ》するような者をこのまま黙って許しておけると思うか。事の破綻《はたん》はみんな貴様のよけいなことをしたのに発している。こんな鞄が何に役立つ。この材木は一体何だ。風呂桶《ふろおけ》の下で燃すのが精一杯の値打だ」
「そんな筈はないんですがなあ。もっと慎重によく調べさせて下さいよ」
「その必要はない。何もかもおれには分っとる。おまけに博士をあんなに生ける屍《しかばね》にしてしまって。……わしの計画は滅茶滅茶《めちゃめちゃ》じゃないか」
「博士は外出時に変装するということを貴方が僕に注意しなかったのが、そもそも手落ちですよ」
「博士のラボラトリーの前から警戒監視すべきが当然だ。しかるに貴様は骨を惜んで田端駅で待っていた。横着者《おうちゃくもの》め。そして博士が到着しないと分ると、そこで初めて目黒へ駆けつけた。そのときはもう後の祭だ。博士はもの言わぬ人となって目白署へ収容され……そうだ、まだ貴様にいうことがあった。貴様は田鍋のところでよけいなことを喋《しゃべ》ったな。知っているぞ、ちゃんと知っている。博士の部屋へ入ると、猫の子が宙に浮いてばたばたやっていたと喋ったろう。それから博士に仕事を頼んだことまでべらべら喋っちまったんだろう。どうだ、それに違いなかろう」
「それは……それは、そういわないとあの場合、捜査課長の心を動かすことが出来なかったからです」
「バカ。捜査課長にあれを連想せしめるような種を提供して、わしの方は一体どうなると思うんだ。田鍋のやつは、勘は鈍いが、あれで相当|克明《こくめい》でねばり強いから、そのうちにはきっと一件を感づくに違いない。そうなったら……ああ、そうなったら万事休《ばんじきゅう》すだ。わしの最後の一線が崩れ去るのだ。憎い奴だ、貴様は……」
「まだ投げるのは早いです。打つべき手は、まだいくらでもありましょう。こんどは間違いなくやります。一命を抛《なげう》ってやります。命令して下さい」
「貴様に対する信用はゼロなんだが……よしもう一度使ってやる。いいか、こうするんだ。田鍋のところへ行くんだ。さっきの十万円で買収だ。買収に応じなかったら田鍋の奴を早いところ誘拐《ゆうかい》してしまえ」
「はい」
と、電話が外から懸って来た。
目賀野は電話器を取上げた。彼は簡単な返事をして電話を切った。彼の奥歯がぎりぎりと鳴っていた。
「臼井、早くしろ。十万円はその書類棚の上に入っているから、開いて出したまえ」
「はあ」
臼井は書類棚のところへ行った。と、彼の脳天《のうてん》にはげしい一撃が加わって、彼は意識を失ってしまった。
目賀野は、ほっと一息ついて、手にしていた丸い盆を、隅の卓子へかえした。それから隣室へ通ずる扉を開いて、大声で呼んだ。すると、いつぞやの若い男と女とが、奥からとび出して来た。それを見ると、目賀野はいった。
「一時この邸から退去せにゃならなくなった。千田はこの臼井を担《かつ》いで霊岸橋《れいがんばし》へ行って、辰馬丸に乗込んですぐ出てくれ。行先は石《いし》の巻《まき》だ、草枝はもんぺをはいてわしといっしょに来てくれ。松戸へ出てから、すこし歩くことにするからなあ」
そういっているとき、天井に取付けてある高声器が、がらがらと雑音を出してから、ひとりで喋りだした。
「警視庁の自動車が門前に停りました。三人の紳士が今玄関に立ってベルを押しています。一番えらそうな紳士は鼠《ねずみ》色のオーバーを着た大男です……」
そこまで聞くと、目賀野は万事を悟った。
「捜査課長の田鍋が来たんだ。さすがに早く気がついたな。さあ千田、今のうちに地下道を通って長屋から出て行け。草枝は裏から抜け出ろ。そして松戸の駅前の丸留の家で待っているんだ。もんぺはそこで借りりゃいいぞ」
目賀野はそういって命令を伝えると、彼自身は隣室へとびこんで、ばたりと扉を閉じた。
鞄の怪談
田鍋課長一行は、一向要領を得ないで、目賀野氏が留守だという邸から引揚げた。もし課長が、今しがたそこの地下室での出来事を勘づいていたら、そのように温和《おとな》しく帰りはしなかったろう。
目賀野は行方不明となった。だが、田鍋は別に大して重要と思わないから、捜査命令を出しはしなかった。その代り彼は赤見沢博士の容態《ようだい》には十分の警戒を払い、専門の警察医を附添わせた。
こうして、何だか正体《しょうたい》の分らないこの妙な事件は、田鍋課長側と目賀野側との間に喰いちがいのあるままでそれから先を別々に進行していった。
臼井は、あれから船に乗せられると間もなく正気づいたが、自分が船内に軟禁《なんきん》されている身の上であることを、千田から話されて知った。こうなれぼ当分温和しくしているより仕方がない。そのうちに千田や船員が油断《ゆだん》をするだろうから、脱出も出来ようと考えた。但し脱出したのがよいか、しないで辛抱していた方が安全か、これは篤《とく》と考えてみなければならない問題だと思った。
ちょうどその頃、東京に一つのふしぎな噂が流れはじめた。それは怪談の一種であるとして取扱われていた。人影もない深夜《しんや》の東京の焼跡《やけあと》の街路を、一つのトランク鞄《かばん》がふらりふらりと歩いていた、そのトランクを手に下げている人影も見当らないのに、トランクだけが宙をふわりふわりと揺《ゆ》れながら向こうへ行くのを見たというのだ。
もし事実なら、奇々怪々《ききかいかい》なる出来事だといわなければならぬ。
その怪事の目撃者というのは、焼跡に建っている十五坪住宅の主人で、昼間は物品のブローカーをしている人だったが、その人が夜中|厠《かわや》へ入って用を足しなが
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