悪《ぞうお》の気も見えない。
とうとう赤見沢博士は、背広姿のまま、室内にぶら下った。博士の足が、実験台よりもすこし高くなったところで、小山嬢は、手にしていた綱《つな》を壁際の鉄格子《てつごうし》にしっかりと結びつけた。そして首吊り博士の下までやって来て、美貌の男の方へ何とかいって、博士の足を指した。
田鍋課長は先刻から愕《おどろ》きの連続で、息が詰まる想《おも》いだった。かねて怪しいと睨《にら》んでいた小山すみれが、博士の首に綱をかけてくびり殺すところをまざまざと見せられ、全身の血は逆流した。現行犯にしても、これほど鮮かに恐ろしい現行犯を見たことは、今までにないことだった。彼は、自分が部下の肩車に乗っていることを忘れて、窓を叩き割ろうとして、帆村に停《と》められた。
「ちょっと、静かに……」
帆村は、室内を指した。
小山嬢は博士のズボンを手にとって、ズボンの裾《すそ》を持ち上げた。
奇怪なことに、そのズボンには脚《あし》が入っていなかった。つまりズボンだけであった。
小山嬢は、実験台の下に跼《しゃが》むと、間もなく台の上に大きな靴を持出した。彼女はそれを博士のズボンの下のところへ持っていって、靴をはかせるような恰好《かっこう》をしてみせ、それから靴をまた台の上へ置いた。博士にその靴をはかせるつもりらしいが、ズボンだけで足のない博士が、どうしてそんな重い靴をはくことが出来るだろうかと、田鍋課長は気がかりであった。
小山嬢は、その靴を指して、美貌の青年の顔を見上げた。青年は肯《うなず》いた。小山嬢は靴の中をあけて見せた。中には何やら詰まっていた。それは何かの小型の器械であるらしく、小さい部分品が組合わせられていた。そんなものが入っていては、靴の中に足を突込むことが出来ないではないかと、田鍋課長は更《さら》に気がかりになった。
小山嬢の指は敏捷《びんしょう》に動いて、その部分品を一々指した。彼女はそれについて説明しているらしいが言葉はさっぱり分らない。しかし帆村は、その小型器械が、無電装置であることに気がついた。
小山嬢は、もう一つの靴の中からも、別の器械を取出した。その器械は、著しい特徴があるので、帆村にはすぐ分った。それは放射能《ほうしゃのう》物質から出る放射線を捕えて、その放射線の強さを検出する計数管《けいすうかん》の装置であった。
(無電装置と放射線計数管と――妙なのが靴の中に収《しま》ってある?)と、帆村は首をひねった。田鍋課長には、そんなことは分らないので、どうしてあんなものを靴の中に入れてあるのか、あれでは足が入るまいなどと、そんなことばかりを心配していた。
小山嬢は、靴を手にぶら下げた。そして指をしきりに動かして、計数管と無電装置との間に連絡のあることを示したのち、靴をいじっていたが、靴のフックのところに突然赤い豆電球がついた。
すると、殆んど同時に、靴の底から熊手《くまで》のようなものがとび出して、下に向って開いた。その恰好は、がんじきをつけた雪靴にどこか似ていた。その熊手|様《よう》のものは、蟹《かに》のように爪をひろげ、びくびく慄《ふる》えていたが、そのうちにその爪がだんだん内側へ曲って来て、遂《つい》には靴の下で何物かをがっちりと抱きしめたような恰好となった。
小山嬢は、そうなった靴をしきりにさしあげて、美貌の青年の注意を喚起《かんき》している風に見えた。すると青年は感激の面持《おももち》で、つと小山嬢の方に寄ると、靴もろとも両手でぐっと抱きしめた。青年の腕の下にある小山嬢の顔が、急に蒼《あお》くなり、それからこんどは赤くなった。彼女のしっかり閉じられた瞼《まぶた》の下に大きな眼玉がごろんと動くのが見えた。彼女は恍惚境《こうこつきょう》に入っているらしい。
青年が腕を解《と》いて小山嬢を離すと、彼女は靴を持ったまま傍の椅子の上へ、へたへたと崩《くず》れるように腰をおとし、しばらくは動こうともせず、口もきかなかった。
(無電装置と放射線計数管と浚渫機《しゅんせつき》とを備えている靴――とは、妙な靴があったものだ。一体この三題噺《さんだいばなし》みたいなものをどう解くべきであろうか)
帆村は、小山嬢がまだ持続する恍惚境から醒《さ》めやらぬのを見やりながら、心のなかにメモをとった。
そのうちに小山嬢は、やっと正気に戻ったと見え、靴を抱《かか》えて椅子から立上った。
彼女はその靴の紐《ひも》を、博士のズボンの下端《かたん》にまきつけて縛《しば》った。ズボンが靴をはいたように見える。
それがすむと、小山嬢は、飾椅子に結《ゆわ》きつけてあった綱をほどき、宙に首吊《くびつ》りを演じている博士の身体を下におろし、前のとおり肘懸《ひじかけ》椅子に腰を掛けさせた。博士の死体は、綱を首にまきつけた
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