たらしの男は、どこかで見たことがあるぞ)
 たしかに課長の記憶の中にある男であった。しかしどこで見た男だったか、すぐにはそれを思出すことが出来なくて、課長はいらいらして来た。帆村はこの青年の顔に、何の記憶も持っていなかった。ただ、小山すみれ嬢とはおよそ反対の立派な男子で、皮肉な対照《たいしよう》をなしていると感じたことであった。が、しかし、彼はあまりながくこの美貌《びぼう》の青年に見惚《みと》れていることが出来なかった。というのは、残るもう一人の人物が、彼の注意力の殆んど全部を吸取ってしまったからである。そのことは、田鍋課長にとっても亦《また》同様であった。
(あれは赤見沢博士に相違ないが、一体どういうわけで博士はここにいるんだろうか)と帆村は不審《ふしん》の目をぱちくり。課長の方は(誰が赤見沢博士を病院から出したんだろうか、わが輩《はい》の許可を得もしないで……。何奴《どいつ》が出したか、怪《け》しからん奴《やつ》どもだ)
 と、かんかんになって、頭から汗が出て来た。
 その赤見沢博士は、肘懸椅子《ひじかけいす》に凭《もた》れ、頭を後の壁につけていたが、その恰好がへんにぎこちなかった。博士はまだ意識|混沌《こんとん》としているので、あのような恰好をしているのであろうが、両眼を大きく明けているのが、ちと腑《ふ》に落ちかねる。
 そのときであった。小山すみれが脚立《きゃたつ》から下りて、二本の綱を引張って、赤見沢博士の傍へ来た。その綱は、天井から垂《た》れていた。よく見ると、天井には滑車《かっしゃ》がとりつけてあり、綱はそれに掛っていて、上下自在になっていることが分った。
 小山女史は、その綱の一本を、いきなり赤見沢博士の頸《くび》にぐるぐるっと巻きつけた。顔色一つ変えないで……。美貌《びぼう》の男は、あいかわらずにこにこ笑っている。小山嬢は綱に結び目をつくると二三歩うしろへ身を引いて、もう一方の綱をぐんぐんと下にたぐった。すると博士の頸に搦《から》みついている綱がぴーンと張った。それでも小山嬢は、自分の手にある綱をぐんぐんと下にたぐった。博士の身体が椅子から浮きあがった。小山嬢が綱をたぐるたびに、博士の身体は上へ吊りあげられた。博士の絞首刑《こうしゅけい》である。それを自らの手によって行っている小山すみれの顔は、始めと同じく無表情で、悔恨《かいこん》の色もなければ憎
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