金属売場へゆくと、誰にも発見されるような万引をやった。果して私は逮捕せられてしまった。それでいいのだった。
なぜなれば、即日《そくじつ》から、身体の自由を失ったと云うことは、即日から、私は警察の保護をうけたことになるのだ。
常習万引《じょうしゅうまんびき》の罪状はきわめて明白《めいはく》だった。予審《よしん》が済むと、私の身柄は直ちに近郊の刑務所に移された。やがて判決|言渡《いいわたし》があった。
「被告ヲ懲役《ちょうえき》五年ニ処《しょ》ス!」
私は晴れて刑務所の人間になった。私は落ちつくところへ落着いて、たいへん安心したのだった。
その頃、世間では「ラジウム入り患者の失踪事件」のことなんか、もうすっかり忘れてしまっていた。病院の方でも、もう出ないものと諦《あきら》めていた。警察では、真犯人の私のことを、あろうことかあるまいことか、常習万引罪で刑務所に封鎖してしまったので、いくら巷《ちまた》を探したって、犯人が網《あみ》に懸《かか》る筈がなかった。かくして例の事件は、盲点《もうてん》に巧みに隠蔽《いんぺい》せられることとなった。
それはそれで大変うまくいったのだが、唯一つ困ったことが出来た。
「なんか異状はないか」
と看守が、私の独房の窓から、室内を覗きこんだ。
「はア、困っていますんで……」
「困っている? それは何か」
「痔《じ》でござんす。痛みますんで、夜もオチオチ睡れません」
「睡れないのは、誰でも入りたてはちと睡れぬものさ。痔だなんて、つまらん芝居をするなよ」
「芝居じゃありませんです。じゃそこで看守さんは見て居て下さい。いま此処で股引《ももひき》を脱いで、御覧に入れますから」
そういって私は柿色の股引に手をかけた。
「ば、ば、馬鹿」と看守は慌《あわ》てて呶鳴《どな》った。「おれが見ても判らん。上申《じょうしん》してやるから一両日待っとれッ」
ガチャンと窓に蓋《ふた》をして、看守は向うへ行ってしまった。
私は顔を顰《しか》めながら、茣蓙《ござ》だけが敷いてある寝台の上にゴロリと横になった。
――思いかえしてみると、痔の悪くなるのも無理がなかった。あの病院へ行っていたころ、本当に悪かったのである。あれからこっち、汗をかくほどの活動を、それからそれへとした上に、ラジウムの隠しどころとして、あの肉ポケットを利用した時間が実に相当の量にのぼったのだった。その結果、患部《かんぶ》は悪化《あっか》した。いじりまわしたのが悪かったのか、それともラジウムを長い時間、患部に接して置いたのが悪かったのか。
そういえば、ハッキリ刑務所の人間となるときに、私は千番に一番のかね合《あ》いという冒険をしたのだった。あのとき、私のあらゆる持ちものは没収《ぼっしゅう》され、素《す》ッ裸《ぱだか》にして抛《ほう》り出されたのだ。それまではラジウムを、あっちのポケットからこっちのポケットへと、頻繁《ひんぱん》に出し入れしていた。同じところに永く入れて置くと、たとい洋服だの襯衣《シャツ》だのを透《とお》してでも、ラジウムの近くにある皮膚にラジウム灼《や》けを生《しょう》ずるからだ。ところが、この素ッ裸にされ、そしてやがて襟《えり》に番号の入った柿色《かきいろ》の制服を与えられる場合になっては、最早《もはや》ラジウムはそのままにして置けなかった。洋服の一部分に入れて置けばよいようなものであるが、五年も同じところに入れて置くと、洋服の生地がボロボロになり、その隙間《すきま》からラジウムは自然に下に転がり落ちるだろうと考えられたからだ。釦《ボタン》に穴を明けて置いて、その中にラジウムを嵌《は》めこむ方法も考えたが、ラジウムの偉力《いりょく》は、洋服の生地《きじ》も馬蹄《ばてい》で作った釦も、これをボロボロにすることは、まったく同じことだった。――結局、柿色の制服を着る際には、どうしてもラジウムを、あの肉ポケットに入れて、うまく独房《どくぼう》の中へ持ち込むより外に、いい手はなかった。
こんな風で、私の肉ポケットの疾患《しっかん》は、更に悪化したのだった。ラジウムも適当なる時間を限って患部に当てれば、吃驚《びっくり》するほど治癒《ちゆ》が早いが、度を過ごすと飛んだことになるのだった。
「おい一九九四号、出てこい」
「はア。――」
「医務室へ連れてゆくから出て来い」
「はア。――」
私はラジウムを、清掃用《せいそうよう》の箒《ほうき》のモジャモジャした中に隠してそれから看守に連れられて外に出た。
(おオ、おオ)
と向いの一二二二号が小窓から顔を出して、私にサインを送った。彼はこの刑務所へ入って出来た最初の友達であり先輩だった。本名《ほんみょう》は五十嵐庄吉《いがらししょうきち》といい、罪状《ざいじょう》は掏摸《すり》だとのことだった。
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