、目を瞠《みは》って、アンを探した。赤外線標識灯は、台ばかりになっていた。アンは、その下に倒れていた。ボジャックも亦《また》……
「アン、どうした。しっかりせい」
 大尉は、アンを抱《かか》え起してみると、胸一面の血だった。胸をやられている! 大尉の声が通じたものか、アンは、薄目を開いた。
「ボジャックは?」
「ボジャックは、ここにいる。ああ、気の毒だが、とうの昔に……」
「そう。あたしも、もう……」
「これ、しっかりしろ。アン」
「あなた。アンは、あなたに感謝します。われわれ第五列部隊は、監獄にまで手を伸ばして、あなたを利用しましたが、許してください。祖国ドイツは……」
「そんなことは、わかっとる。アン、死んじゃ駄目だぞ」
「あなたは、ご存知《ぞんじ》ないが、あなたは、日本の将校なんです」
「それは知っている。おれは、福士大尉だ。爆撃の嵐の中に、おれは記憶を恢復したのだ。悦《よろこ》んでくれ」
「ああ、そうだったの。道理《どうり》で、お元気な声だと思ったわ」
「アン、なにもかも、思い出したよ。あの油に汚れたハンカチも、ぼろぼろの服も、みんなダンケルクの戦闘の中にいたせいだ。おれは、飛行機を操縦してドーヴァを越えて、この英国《えいこく》に飛んだのだ。そのとき、既《すで》に負傷していた。同乗させてやった中国人仏天青は機上で死んだが、おれは、いつの間にか、その先生の服を持っていたんだ。おれは飛行機を、夜間着陸させるのに苦しんだが、遂《つい》に飛行場が見つからず、その後は憶《おぼ》えていない。それ以後、おれの記憶が消えてしまったんだ。何をして監獄へ入れられたか、そいつは知らない。おい、アン――アン、どうした」
「あなた、最後のお願い……あたしのために、こういってよ……」
「アン、しっかりしろ。何というのか」
「……こう、いうのよ。ヒ、ヒットラーに代《かわ》りて、第五列部隊のフン大尉に告ぐ」
「えっ、第五列部隊のフン大尉に?」
「そう、そうなの、あたしのことよ。……汝は、大ドイツのため、忠実に職務を……あなた……」
「しっかりせんか、アン――いや、フン大尉。君の壮烈《そうれつ》なる戦死のことは、きっとおれが、お前の敬愛するヒットラー総統《そうとう》に伝達《でんたつ》してやるぞッ!」
 福士大尉は、アンの耳に口をつけて、肺腑《はいふ》をしぼるような声で、最後の言葉を送った。
 そのとき、夜は、ほのぼのと、明け放れた。頭上には、精鋭なるドイツ機隊の翼《つばさ》の輝《かがや》き、そして海岸には、平舟《ひらぶね》の舷《ふなべり》をのり越えて、黒き洪水《こうずい》のような戦車部隊が!
 ドイツ軍大勝利の閧《とき》の声と共に、上陸作戦の夜は、明け放れたのであった。
 福士大尉は、情報報告のため、直《ただ》ちにこのクリムスビーを発足《ほっそく》すべく、アンの亡骸《なきがら》をそっと下に置いて、立ち上った。



底本:「海野十三全集 第10巻 宇宙戦隊」三一書房
   1991(平成3)年5月31日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1941(昭和16)年 2月
入力:tatsuki
校正:土屋隆
2003年12月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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