下水平、異状なし。左舷上に小さな火光あり。追跡隊かとも思う。そのほか異状なし」
「了解。その小さい火光に警戒をつづけよ」
「はい」
 山岸中尉は、暗視器をその方へむけて、倍率を大きくしてみた。まだはっきりと形は見えなかった。が、とにかく星の光ではなく、別の光源であった。あのあたりが、さっき脱出した「魔の空間」のある場所かもしれない。方位角と仰角《ぎょうかく》とではかってみると、だいたいその見当である。
 山岸少年が、報告にもどってきた。
「機長。尾部の漏洩箇所は、大小六箇であります。大きいのは、径五十ミリ、小さいのは十三ミリ。帆村班員は、瓦斯溶接《ガスようせつ》で穴をうめております。もうすぐ完成します」
「うむ」
 この方は、うまくいきそうである。山岸中尉は、ほっと一息ついた。
 しばらくすると、帆村がもどってきた。
「機長、もどりました」
「おう、ご苦労。どうした」
「見つけた穴は、ぜんぶ溶接でふさぎました。しかし、思うほど効果がありません」
「なに、思うほど効果がない……」
 中尉は室内気圧計へ目をやった。なるほど、穴はぜんぶふさいだのにもかかわらず、まだすこしずつ気圧が下がっていく。目につかない穴がどこかに残っているのだろう。
「どうしたのか」
 中尉は、たずねた。
「はい」
 と、帆村は言いにくそうにしていたが、やがて言った。
「艇の外廓に、ひびがはいっているように思うのです」
「外廓にひびが……」
 中尉はおどろいた。もしそうだとすると、修繕《しゅうぜん》の方法がないのだ。どうして外廓にひびがはいったのだろうか。やはり、あのときにちがいない。
 艇が「魔の空間」を爆破して、その爆破孔をとおりぬけるとき、やっぱり自分の仕掛けた爆発物のため、外廓にひびをはいらせたのにちがいない。
「もちろん、それはいまのところ、わずかな隙間を作っているだけですが、注意していますと、ひびはだんだん長く伸びていくようです。ですから、着陸までに本艇が無事にいるかどうかわかりません」
 帆村の心配しているのは、この点であった。この調子でいけば、ひびがだんだん大きくなっていくだろう。噴射をつづけているかぎり、その震動が伝わって、ひびはだんだんひろがっていく理窟である。といって、噴射をやめると墜落のほかない。
 しかもこの調子では、まだそうとうの高度のときに、艇内の空気はうすくなって、呼吸困難、または窒息《ちっそく》のおそれがある。
 思わざる危難がふりかかった。しかもその危険は刻々に大きくなろうとしているのだ。
 なんという気持のわるいことだろうか。
「よし、わかった。あとはおれにまかしてもらおう」
 と、山岸中尉は、歯切れのいいことばで言った。それにつづいて、中尉は胸の中で叫んだ。
(空中勤務に、予期しない困難が、あとからあとへと起るのは、有りがちのことだ。これくらいのことに、腰をぬかしてたまるか。危険よ、困難よ、不幸よ、さあくるならいくらでもこいだ。われら大和《やまと》民族は、きさまたちにとっては少々手ごわいぞ)
 空中勤務者は、あくまで冷静沈着でなければならない。空中で、これを失えば、自分で死神を招くようなものだ。
 その場合の死神は、ルーズベルトのおやじみたいなもので、こっちが死ねば、その死神といっしょに、ルーズベルトまでがよろこぶのだ。そんな死神を招いてたまるものか。冷静と沈着とを失ってならないわけは、ここにある。
 それから機長山岸中尉の、あざやかな指揮がはじまった。
 山岸少年に命じて、地上の本隊との間に無電連絡をとらせた。そして帆村に命じて、「魔の空間」へ突入してから後のことを、こまごまと地上へ報告させた。
 これは万一、この艇が空中分解をするとも、わが偵察隊の調べてきたところは本隊へ通じ、これから後の参考資料となるにちがいないからだった。
 竜造寺兵曹長には、見張をつづけさせた。兵曹長の目と判断は、百練をへたものであるから、ぜったいに信用がおけるのだった。
 そうしておいて、山岸中尉自身は、操縦桿をすこし前へ押しやって、艇を緩降下《かんこうか》の状態においた。
 両翼は、浮力をつけるために、せい一ぱいひろげた。そして噴射の速度をできるだけおそくして、その震動を小さくし、ひびが大きくなっていくのをできるだけふせぐことにした。
 また容器に残っている酸素の量をくわしく調べ、もっとも倹約して、生きていられるだけの酸素をすって、何時間呼吸をつづけられるかを計算した。その結果は、安心できる程度ではなかった。最悪のときは、三十分間にわたって、酸素なしで半気圧の空間を下りなければならないのだ。しかしほかに処置とてなかった。あとは運命である。「人事をつくして天命をまつ」のほかないのであった。
 中尉の頭脳の中は、きちんと整頓せられていた。これか
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