まった。
「あれえ、これはどうしたんだろう」
喜作の家内のお浜《はま》は、二三歩うしろにいたが、喜作の声におどろいて駆けつけた。喜作は、顔をまっ赤にして、よたよた足踏みをしている。お浜は、喜作が中風《ちゅうぶう》になって、これから前にたおれるところだと思った。
「どうしたんだね、お前さん。しっかりおしよ」と、お浜は胸がわくわく、目がくらみそうなのをこらえて、亭主の前にまわった。いや、前にまわろうとしたのだ。
「あ、いたいっ」
お浜は急に体を引いた。誰かに前からつきとばされたように感じたからだ。だが、お浜の前には、誰もいなかった。喜作が自分をつきとばしたのだろうかと思ったが、そうでもないらしい。喜作はあいかわらず、すこし前のめりになって、よたよたと足踏みをつづけている。お浜は狐に化かされたような気がした。そこでお浜は、もう一度喜作の前へまわろうとした。
「あれっ、まただよ」
お浜は、前からつきとばされたように感じた。しかしいくら目をこすってみても、自分をつきとばした者の姿は見えない。お浜は、自分で気が変になったのだと思った。そのうちに、三人の娘が追いついた。お父さんとお母さんは、なにをしているのだろうと、ふしぎに思いながら近づいて行くと、急に足が前に進まなくなった。
「あれえ、どうしたことじゃろ」
「前へ体が進まんがのう」
「わしもそうだよ。狐が化かしとるんじゃろか。早う眉毛《まゆげ》につばをつけてみよ」
こんどは三人の娘がさわぎだした。
こうして五人の者は、道の真中に一列に並んだまま、一歩も前へ進まず、うろたえていた。それは奇妙な光景だった。知らない人が見れば、たしかにこの五人の家族は、狐に化かされているとしか見えなかった。しかし狐が化かすなどという、ばかばかしいことがあるものではない。
ちょうどこの時、列車を下りて、駅から出て来た人たちが五六人、喜作の一家とは反対の方向から、なにも知らず、この村道を歩いて行った。
一番前を歩いていた農業会の田中さんという中年の人が、喜作たちのふしぎな挙動に気がついた。一町ほど向こうであるが、道はまっ直《すぐ》であるので、よく見える。
「あれ。喜作どんたちは何をしとるのかい。教練をば、しとるのじゃろか」
一列横隊で五人が足踏みをしている有様は、なるほど教練をしているように見られないこともなかった。
が、その田中さん
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