《いっこう》隙間は狭くなりません。
「一彦君、その棒の向こうの端をもって、力一杯おこしてみないか。隙間がもうすこし大きくひろがるかもしれないから」
さすが帆村探偵です。たいへんいいところに気がつきました。
一彦は檻の外へ長く出ている丸太ん棒の端をもって、ううんと力一杯もちあげてみました。
めきめきとまた高い音がしましたが、果して檻と床との隙間は、さらに五センチほども広がりました。しめたと帆村は勇敢に、檻の下に頭を入れました。
5
帆村探偵は一生懸命です。
檻と床との隙間に、顔を横にして入れると、うまく向こうへ頭がでました。しかしとたんに胸のところで支《つか》えました。
「一彦君、もっとしっかり」
一彦少年の腕はもう折れそうでした。しかしここで帆村を檻の外に出さなければとおもい、うんと腰に力を入れて、ええいと丸太ん棒をもちあげました。
帆村の体はまたすこし向こうへ出ましたが、こんどは帆村おじさんのお尻が支えてしまいました。
一彦は、このときあまりに腕がぬけそうなので、ちょっと力をゆるめた拍子に、鉄の檻は正直に下りました。
「あ痛い。ああっ――」
帆村おじさんはお尻をはさまれて、悲鳴をあげました。六十二キログラムもあるおじさんのお尻ですから挟まれて痛いのもむりありません。こんなことなら、もっと痩《や》せっぽちに生まれてくればよかったと思いましたがもう間にあいません。
おどろいたのは一彦です。
丸太ん棒を肩にあてて、ええいやっと力を入れますと、とたんにぽきりと音がして、鉄の檻は、がたんとはげしく床にぶっつかりました。その音をきいたとき、一彦はおじさんの胴中が二つになったと思い、おどろきのあまり頭がぽーっとしてしまいました。
「どうした一彦君、しっかりしなくちゃ駄目じゃないか」
帆村探偵の声に、一彦ははじめて気をとりなおし、顔をあげてみると、あんなに心配した帆村は、いつの間にやら檻の下からぬけて一彦の体をかかえているではありませんか。おじさんは危機一髪、檻が落ちる前にひらりととびでたのです。
「ああ、おじさん助ったんだね。ああ僕、どうしようかと思った。よかった。よかった」
と、一彦は喜《よろこび》のあまり、おじさんの首に手をまわして抱きつきました。
6
怪塔王の住む怪塔にはいりこんだのはいいが、しばしばあぶない目にあわされ、いよいよこれで命がなくなるかと思ったことも二度三度とつづき、あげくの果、どうやらこうやら鉄の檻をくぐりぬけた帆村と一彦少年とでありました。まあ運のいい方でしょう。
しかし檻からぬけでたといっても、それで二人の危険はなくなったのではありません。
「おじさん、もう一度この階段をあがっていって、怪塔王に組みつこうよ」
さっき泣いた烏《からす》が、もう笑ったとおなじように、さっきはだいぶん弱気を出していた一彦も、帆村おじさんが檻から抜けだすと、急に強くなりました。そして癪《しゃく》にさわる怪塔王をもう一度襲撃して、あの低い鼻にくいついてやりたいと思いました。
それを聞いていた帆村は、一彦の頭をかるくなでながら、
「だけれど、ここは一度出なおすことにしようよ。怪塔王をやっつけるためには、もっとりっぱな武器を用意してこなければ、とても退治することはできないよ。戦艦淡路があんなにやっつけられたことを考えても、それがよくわかるんだ。僕たちは、怪塔王をあまり見くびっていた。怪塔王は、僕たちの思っていたよりも二倍も三倍も、いや十倍も二十倍もおそろしい科学魔なんだよ。残念だけれど、僕ら二人の手にはとてもおえない」
と、くやしそうにいいました。
「じゃあ、これから僕たちは、ここを逃げだすの。つまんないや」
「そんなことをいっていられないのだ。さあ幸《さいわい》にこの扉はさっきあけたばかりだから、そこをあけて、外へとびだそう」
帆村探偵は少年をなだめながら、さっき猿の鍵であけておいた扉をさっと開きました。
二人の目には、九十九里浜が夜目にもしろくうつったことと思うでしょうが、そうではありません。扉の外には、どうしたことか、考えもしなかった土の壁が出口をぴったりふさいでいました。
検察隊
1
遭難した軍艦淡路の士官室に、この事件の検察隊本部がおかれてありました。検察隊というのは、このおそろしい事件が、どうして起ったのか、またどういう害を軍艦や乗組員にあたえたかを調べる係なのです。
検察隊長は、この軍艦の第一分隊長塩田|大尉《たいい》でありました。この大事件とともに、艦長|安西大佐《あんざいたいさ》から命ぜられたものでありました。もちろんこのほかに東京から派遣《はけん》された捜索隊《そうさくたい》や県の警察署もそれぞれに活動していましたが、塩田大尉は、自分の乗組んでいた軍艦に起った事件ですから、どうかして自分の手でしらべあげたいと思っていました。
いま塩田大尉は、士官室の大きな卓子《テーブル》の上に、この辺の地図をひろげ、検察隊の士官や兵曹などと、額をあつめて相談をしているところです。
「どうも分らん」
と、塩田大尉は、太い首をよこにふりました。
「東京から派遣された調査隊の中に、帆村荘六という探偵がいた筈だが、その後一向ここへやって来ないじゃないか」
「それがですね、塩田大尉」と、小浜《こはま》という姓の兵曹長が、達磨《だるま》のように頬ひげを剃《そ》ったあとの青々しい逞《たくま》しい顔をあげていいました。
「それがどうも変なのであります」
「なにが変だ」
「この先の別荘に泊っているので、今朝からいくども使者をやっていますが、その別荘にはミチ子さんという、親類のお嬢さんがいるきりで、本人は一彦君というミチ子さんの兄にあたる少年をともなって出たまま、まだ帰ってこないというのであります」
「ふーん、どこへ行ったのかな」
「お嬢さんもよく知らないといっていましたが、なんでも向こうの塔を見にいったとかいう話です」
「なに塔だって。その塔とはどこにある塔か」
「さあそれがどうも、艦橋からすぐ前に見えていた塔であるように思われるのです」
2
「ああ、あの塔のことか」
といいましたから、塩田大尉も怪塔のことは、かねて知っていたと見えます。そうでしょうとも。坐礁《ざしょう》した軍艦のすぐ前に見えるのですから。
「おい小浜兵曹長、そこで誰かを塔にいかせて、帆村の様子をたずねにやったかね」
すると兵曹長は頭をかいて、
「いや、そこまではやって居りません。しかし塩田大尉、なぜ帆村探偵のことをそんなに気にされますか」
「うん、それはこういうわけだ。僕はこの前の遠洋出動のとき、あの帆村荘六の『探偵実話』という本を読んだことがあるんだ。今もどこかにその本があるかも知れない。帆村探偵というのは、理学士かなんかで、なかなか新しい探偵術をもって、科学応用の悪人を征伐《せいばつ》してあるくという変り者だ。だから彼がわが軍艦淡路の事件で、この土地にやって来たからには、きっと相当に活躍するだろうと思うんだ。僕は、それをひそかに期待していたんだが、彼が別荘に帰って来ないというのは、どうも変だね」
そういって塩田大尉は、思いいれもふかく首をかしげた。
それから暫《しばら》くたっての後であった。
階段を急ぎ足でかけおりてきたのは、小浜兵曹長であった。ふうふうとあらい息をはきながら、駈けこんだのは士官室だ。
「塩田大尉、た、たいへんです」
テーブルを前に、この事件をその後どうしらべるかについて考えこんでいた大尉は、小浜兵曹長のあわてた顔をじっとみあげ、
「なんだ小浜。また鶏《とり》のようにあわてとるじゃないか」
「いや、あわてるだけのことはありますよ。私は酉《とり》の年ですからね」
「酉年は知っている。大変の方はどうしたのか」
「そ、それです。塩田大尉、すぐ甲板へあがってください。貴下でもきっと顔色をかえられるような、たいへんなことが起っています」
3
甲板の上へ出ると、なにかたいへんなことがあるというしらせです。塩田大尉は小浜兵曹長をひきつれて、すぐさま昇降口をかけあがりました。
軍艦淡路の甲板の上からは、いつに変らぬ九十九里浜の長い汀《みぎわ》がうつくしく見えていました。
だが、塩田大尉の目には、べつにたいへんらしいこともうつりませんでした。
「小浜兵曹長、たいへんとは一体何がたいへんなのか」
すると兵曹長は、大尉の前へ腕をのばして海岸の方をゆびさしました。
「塩田大尉、あれをごらんください。あそこにたっていた塔が、どこかへ姿を消してしまったではありませんか」
「なに、塔が姿を消したって。誰がそんなばかばかしいことを本当にするものか」
「いや、そのばかばかしいことが本当に起ったのです。では塩田大尉には、あの塔が見えるのでありますか」
「見えないはずはない、あの塔は、あの辺にたしかにあったと思ったが――」
と、塩田大尉は甲板の上から、小手をかざし、かねて覚えのある場所をしきりにきょろきょろと眺めましたが、どうしても塔が見えません。
(変だな、たしかあの林のそばに建っていたと思うが、見えないとはどういうわけだ)
塩田大尉の顔はだんだんと紅くなってきました。そのうちに、反対に顔がさっと蒼《あお》ざめてまいりました。
大尉は、拳をかためると、欄干《らんかん》をとんと叩きました。
「これあ不思議だ。小浜、お前のいうとおりだ。たしかにあの塔が見えなくなった」
「やっぱり私の申しましたとおりでしょう」
「うむ、これはたしかに一大事だ。あの塔が見えなくなったとすると、あそこを調べにいった帆村探偵は一体どうなったのだろう」
4
九十九里浜に立っていた怪塔が、わずか一夜のうちに、かげも形もなくなってしまったというのですから、これには塩田大尉もすっかりおどろいてしまいました。
「これはすぐ偵察しなきゃならない。兵曹長、すぐ陸戦隊を用意しろ」
兵曹長は、はっと挙手の敬礼をして駈けだしました。やがて集合を命ずる号笛《ごうてき》の音が、ぴぴーぃと聞えました。
やがて一隊の陸戦隊員が、白いゲートル姿もりりしく、甲板へかけあがって来ました。
「気をつけ、番号!」
銃剣をしっかり握って、水兵さんたちはさっと整列しました。
塩田大尉はその前に進み出て、
「これから上陸して偵察任務を行う。場合によれば戦闘をするからその覚悟でいけ」
戦闘?
水兵さんたちは戦闘ときいて、心の中で、
(しめた!)
と、思いました。こんな内地で戦闘があるとはもっけの幸いです。大いに奮戦して、突いて突いて、突きまくろうと決心しました。しかし敵は何者でありましょう。塩田大尉はそのことにつき一言もいわれませんでした。
陸戦隊は、すぐさまボートを下しました。そしてそれに乗って、海岸めがけて漕《こ》ぎだしたのであります。
まったく不思議な出来ごとがあったものです。塔のなくなった海岸の景色は、なんだかすっかり間がぬけたものになりました。
「上陸!」
陸戦隊は一せいにボートから水際《みずぎわ》へとびおりました。
そこでいよいよ塩田大尉を先頭に、小浜兵曹長がつきそい、陸戦隊は塔があったと思われる例の森をめがけて、勇ましく行進していきました。
森はしずまりかえっています。白い砂も、青草も、みな黙ったきりです。迷子の怪塔はどこに立っているのでしょう。
怪塔の一つの謎
1
怪塔の一階では、いま帆村探偵と一彦少年とが、しきりに小首をかしげています。
「帆村おじさん、なぜこの塔の出口が、土の壁でふさがれたんだろうね」
「ふーむ、おじさんにもよくわからないのだ。だがね一彦君、これは土の壁というよりも、むしろ土壌といった方が正しいのだよ」
「えっ、どじょう。どじょう――って、あの鬚《ひげ》のある、柳川鍋《やながわなべ》にするお魚のことだろう。なぜこの土がどじょうなの」
帆村おじさんはくすくす笑いだしました。
「土壌って、魚のどじょう
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