彫刻の猿は、大きな口をあいて、上目《うわめ》で空の方でも眺めているような恰好《かっこう》をしています。
一彦は、その鍵がたいへん気に入ったと見えまして、いつまでも砂地でその鍵をもてあそんでいました。
ところがそこへ、ばたばたと駈けてきたものがあります。みると外ならぬ例の汐ふきのような顔をした老人でした。
老人は、あたりをきょろきょろ見まわしながら、一彦とミチ子の前まできました。
「お子供衆、このへんに猿の鍵がおちていやしなかったかな」
と、ふくみ声でたずねました。
「おじいさん、これですか」
と、一彦が砂の中に埋めてあった鍵を出してみせますと、
「おお、これじゃこれじゃ」
と、一彦の手からひったくるように鍵をとると、お礼もいわずに元きた道へ走り去りました。
「兄さん。あのおじいさん、とても変なひとね。ありがとうともいわなかったわ」
と、ミチ子が怒ったような声でいいました。
一彦はただ一言「うん」とこたえたまま、老人の後姿《うしろすがた》をじっと見つめていました。その顔には、ただならぬ真剣な色がうかんでいました。
怪事件
1
九十九里浜の沖に、一大事件があったのを一彦とミチ子とが知ったのは、その翌朝のことでありました。
一大事件とは、一体どんなことだったでしょうか。軍艦|淡路《あわじ》――といえば、みなさんも、すぐ、あああの最新式の戦艦のことかとおっしゃるでしょう。そうです、軍艦淡路は、帝国海軍が世界にほこる実にりっぱな戦艦であります。工廠《こうしょう》で作りあげられ、海をはしるようになってからまだ一箇月にもなりません。いままでの戦艦とはちがって、たいへんスピードが早く、これまでの戦艦とは全くちがった不思議な形をしていました。まるで要塞《ようさい》が海に浮かんだような恰好だと、誰かがいいましたが、そのとおりでした。
その軍艦淡路が、昨夜九十九里浜の沖で、どうしたわけか進路をあやまって、浅瀬《あさせ》にのりあげてしまったのです。
いくら大きな最新式の軍艦でも、浅瀬にのりあげるとは変なことではありませんか。
航海長は、決してあやまちをした覚えがないといっています。
ただ不思議なことに、九十九里浜沖を走っていた軍艦淡路は、いつの間にか陸の方へひきよせられ、そして変だなと気がついたときは、もう遅く、浅瀬にのりあげてしまっていたのです。それから先は、機関をどんなにうごかしてみても、びくとも艦《ふね》はゆるがず、そのうちに軍艦の底の割れ目から海水がはいってきて、大きな艦体は、舳《へさき》を上にして傾《かたむ》いてしまいました。
これが夜中の出来ごとなので、そのさわぎといったら大へんでありました。村の人々は軍艦淡路のふきならす非常汽笛に目をさまして、すぐさま、まっくらな浜べにかけつけたそうです。そのとき軍艦は探照灯をつけ、空にむけてしきりにうごかしていたといいます。
一彦とミチ子とは、ぐっすり眠っていて、朝になるまでそれを知らなかったのです。
2
一彦とミチ子は、昨夜の怪事件を知ると、驚きのあまり、朝御飯もたべないで浜べにかけつけました。
「あっ、あれが軍艦淡路だ。すごいなあ」
「あら、あんなに傾いているわ。兄さん、あの軍艦は沈みはしないかしら」
「さあ、どうだか。誰かに聞いてみようよ、ミチ子」
兄妹は、浜べにあつまった人たちの間をぬって、誰か事件にくわしい人はいないかしらとさがしまわりました。すると、そのときボートが浜べについて中から水兵さんが、どやどやと下りてきましたが、そのうちの一人が、警戒に来ているお巡《まわ》りさんのところへやってきて、話をはじめました。
「警官、藁《わら》むしろは集りそうですか」
「ここの村では、水兵さんが申し出られたほどは集りませんが、その半分ぐらいは集りそうです。のこりの半分は、いま方々へ人を出して集めていますから、心配はいりませんよ」
「そうですか。早くしてもらいたいですね。潮はこれからどんどん引くそうだから、軍艦はますますあぶなくなります」
「水兵さん、一体どうしてあんなことになったんです。航海長の失策ですか」
「いや、そんなことはない。全く不思議というよりほかはないのです。いつの間にか、あの大きな艦体が陸地へひきよせられていたというわけです。まるで磁石に吸いよせられた釘《くぎ》のようなわけですよ」
「変なことですねえ」
「変なことといえば、もっと変なことがあるんです」
「えっ、もっと変なことがあるんですか」
とお巡りさんは、びっくり顔色をかえて水兵さんの面《おもて》を見つめました。
「そうです。さらに変なことというのは、軍艦の檣《ほばしら》が――これは鋼鉄でできているんですよ。それが一部|熔《と》けて、飴《あめ》のように曲って
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