その声は、あまりに不意であり、そして大きかったものですから、こちらの二人は思わずその場に木のようにかたくなってしまいました。
「ねえ、おじさん、どうしよう」
「うむ」
 帆村は唸《うな》るばかりでありました。
 するとつづいて、塔の上からまた破鐘のような声がひびいてきました。
「まだぐずぐずしているのか。まごまごしているとこんどは本当に毒ガスをひっかけるぞ」
 そういう声は、たしかにこの前の怪塔王の罵《ののし》り声でありました。そして本当に毒ガスがでてきたのでもありましょうか、塔の上に別の赤い灯《ひ》がつきました。
「おい、一彦君。残念だが引きかえそう」
 と、帆村は無念そうにいいました。
「おじさん、やっぱり退却するの」
「うん、どうも仕方がないよ。折角《せっかく》鍵まで用意してきたけれど、これじゃ深入りしない方が後のためになる。さあ一、二、三で駈けだそう。走るときは真直に走っちゃ駄目だよ。鋸《のこぎり》の歯のようにときどき方向を急にかえて走るんだぜ。そうしないと、塔の上から射撃されるおそれがある」
 と、帆村の注意は、どこまでも行きとどいていました。
 こうして帆村と一彦とは、折角怪塔まで近づきながら、遂に怪塔王に気づかれてしまって、残念ながら引きかえすこととなりました。
 二人は、この失敗にそのまま勇気をくじいてしまうでしょうか。


   不思議な木箱



     1

 さて、その翌日の夜のことでありました。
 怪塔のあたりはいつものように闇の中に沈んで、三階目の窓に黄いろい灯のついていることも、昨日のとおりでありました。
 その夜も更《ふ》けて、時刻はもう十二時ちかくでもありましたろうか。
 ちょうどそのとき、塔の向こうから、車の轍《わだち》の音がごとごと聞えてきました。
 そのうちに塔の前に姿をあらわしたのは、大きな木箱を積んだ馬車でありました。馭者《ぎょしゃ》は台の上にのっていましたが、酒にでも酔っているらしく、妙な声ではな唄をうたっていました。車をひっぱる痩馬《やせうま》は、この酔払い馭者に迷惑そうに、とぼとぼとついていきます。
「こーら、老いぼれ馬め、もっとさっさと歩くんだ。俺さまの手にある鞭《むち》の強いことを、手前《てめえ》は知らないな」
 ぴしりと鞭は、空中に鳴りました。
 痩馬は、痛さにたえかねたらしく、ひひんと嘶《いなな》いて急に駈けだしました。そのとき、車の上から、積んでいた木箱がつづいて二つ、がたんと地上に転げおちました。それは馬車が急に走りだしたせいでありましょう。
 木箱二つが、砂の上に転がりおちたことを馭者は知らないようでありました。彼はなにかわけのわからぬことをわめきながら、かわいそうな痩馬に、ぴしぴしと鞭を加えて走らせていきます。そしてそのまま闇の中に見えなくなってしまいました。
 砂上にのこされた木箱二つ。いつ誰が拾いにきてくれますやら。
 この木箱の落ちたところは、ちょうど例の怪塔の扉の前でありました。怪塔王は、この木箱を室のうちから見たのか見なかったのかわかりません。
 それから二十分もたってのちのことでありました。もう誰にも忘れられたような二つの木箱が、そのとき不思議にも砂の上をしずかにはいだしました。まるで木箱が生き物になったようです。一体これはどうしたというのでありましょうか。

     2

 怪塔王は塔の中で一体なにをしていたのでしょうか。
 怪塔王は、そのとき寝床のなかにあの変な顔をうずめてぐうぐうと眠っていました。怪塔王は、夜が更けると一度すこしのあいだ寝ることにしています。二時間ほど眠ると、こんどはまた起出して、夜中から朝がたまで仕事をするのです。これを怪塔王の間眠《あいだねむり》と申します。
 しかし塔の前で、馬車の上から大きな木箱が、がらがらずどんと大きな音をたてて地面の上に転げおちたその地響《じひびき》に、ふと目をさましました。
「な、なんだろう。軍艦のやつめ、大砲をうちだしたかな」
 と、寝床から起きあがって、テレビジョンを壁にうつしてみました。
 このテレビジョンの器械には、自動車のハンドルみたいなものがついていて、これを廻すとレンズがうごきます。そのレンズの向いた方角なら、どこでも塔の外の景色が思いのままに壁にうつるのでありました。
 昼間だけではありません。夜間でもはっきりうつります。テレビジョン器械は、人間の眼よりもはるかに感じがするどく、人間の眼にみえないものでも器械の力でよく壁にうつしだすのです。
 怪塔王は、レンズを軍艦の方にむけ、壁に夜の海面の光景をうつしだしました。軍艦が大砲をうつと大砲の煙が出ているはずです。そう思って怪塔王が見てみましたが、一向《いっこう》煙もあがっていません。
「じゃあ何の音だろう」
 と、怪塔王は不思
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