ちのとなりの空席へうつそうとした。すると、とつぜんその空席の椅子がひとりでぎしぎしと鳴り、そして空席のところから若い女の声がとびだした。
「あッ、この席にはあたくしがおりますのよ」これには面くらって、うしろへさがった。
「ええッ、なんとおっしゃる」目をさけるほど見はったが、となりの席はやっぱり空席だった。
「そんなにこわい顔をなすっちゃいやですわ。どうぞあなたの席におつきくださいませ」
「はい。しょうちしました。しかしあなたの声はすれどもお姿はさっぱり見えないのですがね」
「そうでございますか。ご不便ですわね。ほほほほ」
「いや、笑いごとではありませんよ」そのときガンマ和尚の声がひびいた。
「みなさんに申しあげます。みなさんをお招きしたわたしどもの姿が見えませんために、いろいろとおさわがせさせてすみませんでした。それでただいまよりわたしどものつけております衣裳だけを、見えるようにいたしますから、それによってわたしども主人側の市民たちが、どのようにたくさん、そしてどのように熱心にみなさんを歓迎しているか、お察しください」
 といったかと思うと、ああらふしぎ、この大食堂の中は一時に百花が咲いたように、美しいとりどりの衣裳が、隊員と隊員の間の空席に現われた。
「おお、これは……」
「どうぞよろしく」
 衣裳だけのへんてこなものが、左右へあいさつをした。まったく珍妙な光景だった。


   変調|眼鏡《めがね》


 宴会はそれから軽快な奏楽《そうがく》とともにはじまって、でてくる飲みものや食べるものの豪華なことといったら、隊員たちのどぎもをぬくにじゅうぶんであった。
 隊員たちは、はじめは気味がわるかったが、口にいれたものがおいしかったので、それからあとは飲み、そして食べ大きげんであった。歌を歌うものもあり、ダンスを見せるものもあった。
「もうこのへんで、主人側の美しい顔を見せてくれてもいいじゃないか」
 酔っぱらった隊員のひとりが、席に立って腕をふっていた。
「いや、いずれ見ていただく日がきましょう。それまでお待ちください」
「もう待ちきれませんね。衣装だけのお化けと酒もりしているのはやりきれませんからね」
「ごもっともです。しかし、物事には順序というものがあることを、みなさんもごぞんじでしょう」
 とガンマ和尚《おしょう》はいった。
「なにが順序だって……」
「とにかくわたしどもの希望しますのは、みなさんは長途《ちょうと》のお疲れもあることとて、すべての心配と危惧《きぐ》をすててとうぶんはゆっくりとお好きなものをたべ、お気にいったところを散歩して、健康を回復していただきましょう。そのうえで、わたしたちはさらに新しいことをお話いたすでありましょう。とにかく、みなさんの生命はぜったいに安全なのでありますから、安心していただきます」
「なぜ、わしらを大切に扱ってくれるのかね。あとで請求書がくるんだろう。こわいね」
「あははは。なかなかきびしいおことばです。そうです。みなさんがじゅうぶんに元気になられたら、わたしどもはみなさんがたに、ぜひ相談にのっていただきたいことがあるのです。それはなんであるか。ただいまは申しません」
「やっぱり、そうだったか。丸々と太ってから、おまえの肉をたべさせろというのだろう」
「トミー。酔っていても、ことばをつつしみたまえ」テッド隊長が聞きかねて注意をした。かれもじつは、さっきからトミーとガンマ和尚の対話に熱心に耳をかたむけていたのだ。
「ああ、いいですとも。わしは何も気にしていませんから。さあさあ、みなさんどうぞ盃《さかずき》をおあげください。テッド隊員[#「テッド隊員」はママ]のご健康を祝します」それがきっかけで、宴会はまたもとのように大にぎやかになっていった。とにかくこの宴会は大成功のうちに幕をとじた。
 その日いらい、隊員たちは誰も彼も元気をくわえたようだ。自由に散歩ができ、無料で飲んだり食べたりでき、音楽を聞いたり、ダンスを楽しむこともできた。
 三根夫少年も、毎日のように町を散歩した。いつでも帆村といっしょに歩くことにしていたが、その日は帆村がテッド博士からよばれて、艇内で会議に列席するため外出ができないので、三根夫ひとりが町へでた。
「もしもし、三根夫さま」かれはうしろから呼ばれた。
 誰だろうと思ってふりかえったが、誰もいない。しかしかれはもうこの頃は勘《かん》ができて、姿は見えなくても、そこにはぜんぜん誰もいないのか、ガン人がそこにいるのかを感じわけることができるようになっていた。
「ああ、そうか。きみはハイロ君ですね。サミユル博士のところにいるハイロ君でしょう」
「はっはっはっ。そうですよ。あなたのおいでを待っていたのです」
「どうかしましたか」
「じつは、わたしはおり入ってあなたにおねだりしたいものがあるんです。さっそく申しますが、先日お持ちになっていた白い小さい、目の赤いねずみですな、あれをわたしにゆずっていただけないでしょうか。お待ちください。あのようなめずらしい貴重な生物をば、ただでくださいとは申しません。それと交換に、あなたの欲しいと思っているものをさしあげます」
「ふーむ、あの南京《ナンキン》ねずみをねえ」
「あなたが大事にしていらっしゃるものであることは知っています。しかしこの国には、あんなめずらしい生物はいないのです。ぜひともどうぞ、かなえてくださいまし」
 三根夫としては、あんな南京ねずみなんでもなかった。いま百五十ぴきぐらいいるから、一ぴきや二ひきやるのはなんでもない。しかし、待てよ、ここが考えどころだ。
「ハイロ君、もしきみがほしいのなら、ぼくが目にかけて、きみたちの姿や顔が見える特殊の眼鏡《めがね》かなんかゆずってくれたまえ。それならあれをあげる」
「ははあ、そういう眼鏡ですか」
「ないのかね」
「いや、あることはあるのですが……」とハイロは困っていたが、やがて決心したように、
「よろしい、あす持ってきます。ねずみと引きかえにおわたしします」
 三根夫はそれを聞いて、鬼の首をとったようなよろこびを感じた。
 この南京ねずみと、変調眼鏡の交換は約束どおりに行なわれた。ハイロは籠にはいった南京ねずみを見てよろこびの声をあげたが、
「三根夫さま。この変調眼鏡をさしあげることはさしあげましたが、あなたさまだけでごらんくださいまし。もしそうでないと、わたしはひどい罰をうけなければなりません。どうぞぜったいに秘密に願います」
 そういってハイロは三根夫に一つの箱をわたした。
 三根夫はその箱をもって艇へかえると、じぶんの部屋にはいって、その箱をあけて見た。なるほどへんな形をした双眼鏡式のものがあらわれた。三根夫は、えびすさまのような顔になった。そしてさっそくその『変調眼鏡』をかけてみた。さて、いったい何が見えたろうか。


   奇妙なお面


 三根夫は、どきどき鳴る胸をおさえて変調眼鏡をかけてみた。
 まず、じぶんの部屋をぐるっと見まわした。
「よく見える。しかし、おなじことだ」
 眼鏡をかけても、かけないでも、じぶんの部屋のようすは、かわりがないようであった。バンドのついた椅子。有機ガラスをはめてある格子《こうし》形の戸棚。テレビジョン受影機に警報器。壁につってある富士山の写真のはいっている額。その他、みんなおなじことであった。
 いや。ただ一つ、見なれないものがあった。それは天井の隅の、換気用の四角い穴に、赤くゆでた平家蟹《へいけがに》をうんと大きくして、人間の顔の四倍ぐらいに拡大したようなもの――それは見たことのない動物の顔をお面につくったものであった――が、それが換気穴《かんきあな》のところへはめこんであったのだ。その顔のお面は、彫刻であるのか、ほりものであるのかよくわからなかったが、おどけた顔つきに見えた。その色は、いまもいったとおり平家蟹をゆでたような一種独特の赤い色をしているのだった。頭がでかくて、顔がでかくて顔の下半分はすこしすぼまっている。だから、せんす形だ。大きな二つの目がある、それは人間の眼とちがって、たいへんはなれている。耳に近いところにあるのだ。望遠レンズのような感じのする奥深い、そして光沢《こうたく》をもった目玉だった。その下に、象の鼻を小さくしたようなものが垂《た》れさがっている。それが、このお面をおどけたものにしていた。口はその下にかくれているのか、よくは見えない。目の横に、顔からとびだしたしゃもじ[#「しゃもじ」に傍点]形の丸い耳がついていた。この耳も、愛嬌《あいきょう》があった。
 しかし奇妙なのは、この動物が頭のうえに持っている角《つの》であった。その角は二本であった。そして短かい棒のさきに、棒の断面よりもすこし大きい団子をつけたような、ふしぎな形をした角であった。そして色は緑色をしていた。顔全体は、あまり小さいでこぼこはなく、ゆったりとふくらんだり引っ込んだりしていて、感じはわるくないほうであったが、三根夫をへんな気持にさせたのは、いったいそのお面はなんという動物なのかわからないことであった。
 動物というよりも、お化けといったほうがいいようにも思われる。いや、お化けというよりもそういうへんな顔をした怪神《かいじん》とも見える。したがって、どこか人間の顔に近いところもある。牛や熊に近いところもあるが、よく見ていると、それよりも、むしろ人間くさい顔に見える。
 それはまあいいとして、なんだってあんな奇妙なお面をあそこへはめこんだのであろうか。誰がやったいたずらであろうか。
「ああ、そうか。帆村のおじさんのいたずらだよ。ぼくをおどろかして、笑いころげようという考えなんだろう」そう思うと、おかしさがこみあげてきて、三根夫は声をたてて笑った。
 その笑い声を、途中で三根夫は、はっととめなくてはならなかった。
「おやッ」
 例のお面の大きな目がぐるんと動いたような気がしたからだ。
(お面の目が動いた。あのお面は、すると、生きているのかな。そんなことはあるまい)
 三根夫は、ぞーッとさむ気を感じた。
「よく、見てみよう」かれは折《お》り尺《じゃく》を机の上からとって、それをのばしながら、机の上にあがった。かれの考えでは、机の上にあがり、それから一メートルの長さにのばした折り尺でもって、その奇妙なお面をつついてみるつもりだった。
 三根夫は、机のうえに立った。そして折り尺の一|端《たん》をにぎって、他の端《はし》を高くお面のほうへ近づけた。すると、お面の両耳が、ぷるぷるッと蝉《せみ》の羽根のようにふるえた。
「あッ」
 つづいて、二本の緑色の角が、にゅーッと前方へまがって、倍くらいに伸びた。象の鼻みたいな凸起《とっき》が、ぴーンと立ってその先がひくひくと動いた。そればかりか、お面全体が奥へひっこんだ。
「待てッ」
 三根夫は、このとき、やっとそのお面が、作りもののお面ではなく、生きている動物の顔であることに気がついたので、腹をたてて、長く伸ばした折り尺をとりなおして、ぷすりとお面ではない、その怪物の顔をついた。たしかに手ごたえがあった。
 が、とたんにその顔は、換気穴から消えてしまった。そしてばしゃんと音がして、金網《かなあみ》が穴をふさいだ。
「逃げてしまった」三根夫は、ざんねんでたまらず、歯をぎりぎりかんだ。
 そのとき、入口の戸をノックして、扉をひらいてはいってきた者がある。


   見えない怪物


「おや、三根クン。そんなところで何をしているんだい。おやおや、へんなものをかぶって、それはどうしたんだ」
 それは帆村荘六だった。この部屋は、三根夫と帆村とふたりの部屋であったから、帆村がはいってきてもふしぎでない。
「今、へんな怪物が、あそこの穴から、こっちをのぞいていたんですよ」
 と、三根夫は帆村のほうへふり向いてそういった。が三根夫はそのとき大驚愕《だいきょうがく》の顔になって、
「あッ。誰のゆるしをえて、この部屋へはいってくるんだ」
 と叫びながら、椅子からとびおり、帆村のほうへ向かってきた。
「おいおい、三根クン
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