ろに直径が三間もあろうと思われる穴がポカポカとあちらこちらにあいているではありませぬか。勿論穴の中には同じような青草が生え茂っていますが、此のような穴は天然に出来たとはどうしても考えられませぬ。それは恰《あたか》も空中からこの地点へ向って数多の爆弾を投下《とうか》したならば、かような大穴があくことであろうと思ったことでした。
 本当は僕には、此の山の奥に訪ね登って来る迄に何もかも判っていたのです。僕の考えでは、僕の留守の室に将校達が詰めかけていた時こそは、正《まさ》に敵国人が秘密防禦要塞《ひみつぼうぎょようさい》を作っていた此の山奥の地点を、わが陸軍の飛行隊が空中から襲撃《しゅうげき》を行ったときに当るのであって、憎むべき侵略者《しんりゃくしゃ》の一団は悉《ことごと》く飛行機から打ち落す爆弾によって殺害せられたのです。而も我がセントー・ハヤオを救い出す道なく、大事のための小事《しょうじ》で、遂に尊き犠牲《ぎせい》となり、憎むべき敵国人の死骸《しがい》の間に、同じようなむごたらしい最後を遂《と》げたのでしょう。ほんとに尊い死。――彼は完全に祖国を救ったのでした。しかも彼の死たるや僕に洩したとおりとすれば彼の側には愛人の骸《なきがら》も共に相並んで横《よこたわ》ったことであろうと思われます。彼は恐らく可憐《かれん》な愛人と抱きあったまま満悦《まんえつ》の裡《うち》に瞑目《めいもく》したことでしょう。
 その時、僕が掘りあてたのは、この半ば爆弾に溶かされた加減蓄電器《バリコン》であって、セントー・ハヤオが死の直前まで、電鍵をたたきつづけた其の短波長送受信機に附いていたものであるに違いありません。云々。
     *   *   *   *
 亡友Y――は斯う語って、この壊れた加減蓄電器《バリコン》を私に手渡したのです。ひどい肺結核に襲われている彼の細い腕は、その時このバリコンをすらもち上げる力が無かったようでした。それもその筈です。この物語を聞いた日から三日のちにY――の容態《ようたい》は急変して遂に白玉楼中《はくぎょくろうちゅう》の人となってしまったのでした。
 さて私の永話《ながばなし》はこれで終りますが、貴君はこのはなしが彼の言うとおり実際あったことかどうかについて御判断がつきますか。御つきになるなればそれを誰からか、はっきり判断して貰いたがっていた亡友Y――の追善《ついぜん》のために、是非貴君の御意見というのを聞かせて下さいませんか。



底本:「海野十三全集 第1巻 遺言状放送」三一書房
   1990(平成2)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「無線と実験」
   1928(昭和3)年5月号
※初出時の署名は、「栗戸利休」です。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全7ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング