の船員たちは、真剣なかおで同僚の足元に視線をあつめる。そして煙草に、火のついていないのをたしかめると、ほっとした面持《おももち》になった。言葉を発する者さえない。
 竹見は、いじわるくにやりとわらって、ポケットに手を入れた。そしてまた新たに一本の煙草をとりだして、唇の間へ、ひょいとくわえた。
 おどろいたのは、ノーマ号の船員たちだ。わっとわめいて、一せいに水夫の竹見におどりかかった。竹見は、
「な、なにをするッ!」
 と、どなったが、もちろん多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》で、とてもかなわないと見えたし、そのうえ、じつはこのとき竹見にもいささか考えがあって、わざと相手のやりほうだいにまかせておいたのだった。
 すると相手は、ますますいい気になって、竹見のポケットに手をさし入れた。なにをするかとみていると、煙草の入った箱とマッチとを、だつりゃくした。そして、その二つの品物を、こわごわ舷側《げんそく》から海中へ、ぽーんとすてたものだ。
 それでもまだ心配だとみえて、舷側からわざわざ海面をみて、この二つの品物がたしかに水びたしになっているのを確かめている者もあった。なぜそんなに煙草とマッチが、きらいなのであろうか。
 このとき、竹見がさけんだ。
「ちえっ、おれをあまく見て、よくもまあ大勢でもって手ごめにしやがったな、それじゃこっちも、胡瓜の缶詰をかえしてもらうよ」
 どうせ相手にはわからないであろうところの中国語でしゃべって、さっき竹見が船員中のおとなしそうな一人にくれてやった胡瓜の缶詰を、すばやくうばいかえした。
 報復手段なのである。どっちもまけてはいない。
「あっ、それはおれが貰った缶詰じゃないか」
 その船員は、びっくりして竹見にとびかかってきたが、彼は相手にならないで、ひらりとからだをかわした。このことは、その相手の船員ばかりでなく、附近に立ち並んでいた彼の同僚に少からぬ失望をあたえたようである。そうでもあろう、そういう野菜ものにうえていた彼等は、あたらきゆうりのお裾分《すそわ》けを失ってしまったのだから。
 船員たちは、たがいに顔を見合わせて、なにか早口にどなり合っていたが、やがて一同は、やっぱり胡瓜の缶詰にみれんがあると見え、竹見の傍へよってきて、ぐるっと取まいた。
「こら、その缶詰を、こっちへかえせ」
「さっきおれたちがもらった缶詰だ。こっちへよこせ」
 竹見から煙草とマッチをうばいとったことなどは知らんかおで、多勢を頼んで水夫竹見に肉薄してくるそのずうずうしさには、あきれるよりほかない。
 竹見は、べつにおどろきもしない。ふふんと鼻のさきでわらうと、とびかかってくる奴の腕を、かるくふりはらって、ぐんぐん前へ出ていく大胆さ。そこで彼は、さっきからこの有象無象《うぞうむぞう》とは別行動をとり、ウィンチにもたれて、こっちをじろじろしていた一人の、たくましい水夫の前にちかづき、
「おい、お前にこれをやるよ」
 と、もんだいの缶詰をさしだした。
 すると相手は、にやりと笑って、竹見のさしだす缶詰をうけとった。


   巨人ハルク


「やい、ハルク、その缶詰は、おれたちのものだ。こっちへよこせ」
 ハルクというのは、その逞《たくま》しい巨人水夫の名のようだ。缶詰にみれんたっぷりの船員たちはハルクの前へおしかけて、うばいかえそうとする。
「……」
 巨人ハルクは、一語も発しないで、近づいてくる船員のかおをじろりじろりとながめまわす。そして缶詰をわざと顔の前でひねくりまわして、ごくりと唾をのんでみせたりする。こいつはかえって気味がわるい。
 いきおいこんだ船員たちは、猫ににらまれたねずみのように、もう一歩も前に出られなくなった。
「やい、ハルク。意地わるをすると、あとで後悔しなければならないぞ」
 ハルクは、どこを風がふくかといったかおであった。
 竹見は、ハルクが、ばかに気に入った。彼はそこでハルクの前へいって、右手をさしのばした。
「ハルクよ。お前は世界一の巨人だぞ!」
「ふふん、それほどでもないよ」
 ハルクがはじめて口をきいた、しかも片言ながら、とにかく広東《カントン》語で……。そして二人は、しっかり握手をしてしまったのである。そこで、さしものめんどうな胡瓜の缶詰事件も、一まず、かたづいた。
 こっちで缶詰事件が起っている間に、平靖号から野菜その他をもってノーマ号へ出掛けた事務長の一行は、とどこおりなく取引をすませた。ノーマ号の船長ノルマンは、金貨でその代金をはらったが、その支払いぶりは、なかなかよかった。よほど金がある船であるのか、それともよほど野菜類にこまっていたものらしい。
「貴船は、これからどこへいかれるのですか」
 平靖号の事務長は、中国人らしい発音で、ノルマンにたずねた。
「本船は、サイゴンをへて、シンガポー
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