ったのだった。
ところがそれから三年経って、八十助は妙な噂を耳にした。それは鼠谷仙四郎が生きているというニュースだった。しかも彼は、同じ東京の屋根の下に、同じ空気を吸って生きていたのである。彼の勤め先というのは、花山火葬場の罐係《かまがかり》であった。
当分は、彼は勤めに出ても、鼠谷のことが気になって仕事が手につかなかったが鼠谷は、別に彼等夫妻に危害を加えようとする気配もないばかりか、次の年にはチャンと人並な年賀状を寄越したりした。そんなことから八十助夫妻は、始めに持った驚愕と警戒の心をいつともなく解いていった。一年二年三年と経ち、それから五年過ぎた今日では、八十助にとって鼠谷仙四郎はもう路傍《ろぼう》の人に過ぎなかった。それには外にもう一つの理由があった。というのは、八十助の恋女房の露子が、この春かりそめの患いからポツンと死んでしまったため、彼は亡妻《なきつま》を争った敵手のことなんかいよいよ忘れてしまったのである。
その鼠谷仙四郎が、こうして久し振りで目の前に現われたりしなければ、八十助は一生涯彼のことを思い出すことなどはなかったであろうのに……。
「ハテナ……」
と、そのとき何に駭《おどろ》いたのか、八十助は舗道の上に棒立ちとなった。彼はつい今まで忘れていた重大なことを思い出したのだった。
「ハテ……、鼠谷仙四郎なら、あいつは確か死んでしまった筈だったが……」
暗鬼は躍る
「鼠谷仙四郎なら、生きている筈がない!」
八十助が顔の色を変えたのも無理はなかった。なぜなれば、いまから二三ヶ月ほど前、彼はハガキに印刷した鼠谷仙四郎の死亡通知を受取ったことを思い出したからだ。なぜそのような重大なことを度忘れしていたのだろう?
その文面には、たしかに次のような文句があったと思った。
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「……鼠谷仙四郎儀、療養|叶《かな》わず、遂に永眠|仕候間《つかまつりそうろうあいだ》、此段謹告候也《このだんきんこくそうろうなり》。
追而《おって》来る××日×時、花山祭場に於て仏式を以て告別式を相営み、のち同火葬場に於て荼毘《だび》に附し申可く候《そうろう》……」
[#ここで字下げ終わり]
この文面から推《お》せば、彼はたしかに病気で死亡し、その屍体はたしかに火葬せられたのだった。しかも皮肉なことに、彼が生前世話を焼いていた花山火葬場の罐の
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