は人事不省《じんじふせい》から醒めて、生きている悦《よろこ》びを、やっと感じたばかりだったが、その悦びは束の間に消え去った。いくら生きていても、棺桶の中に入れられていては、どうしようもない。彼は望みがないと知りつつも、手足や首をゼンマイ仕掛けの亀の子のようにバタバタ動かした。ドカンドカンと板の上を叩いた。叩いているうちに不図《ふと》気がついた。
(こうして叩いていれば、誰かが発見してくれるかも知れない)
八十助は、彼の入った棺桶がどこかの祭壇に置かれている場面を想像した。しかし何のザワメキも鐘の声も聞えないところから見れば、それはまず当っていなかった。
(それでは、死体収容所かも知れない?)
死体収容所なれば、森閑《しんかん》としているのも無理がない筈だった。そうだ、そうだ。死体収容所であろうと思った。それで彼は、しばらく暴れることを中止して、両方の耳を澄ました。外部から何の音も響いてこないことを確かめるためだった。
「いーや。……何か聞こえる!」
彼はハッと胸を衝《つ》かれたように感じた。何か聞えるのであった。あまり大きい声ではなかったが、水道の栓をひねったときにするようなシュウシュウという音が聞えて来た。
「何だろう、あのシュウシュウいう音は?」
そのうちに、ドンドンというような音が交って来た。その間にカーンと、金属の触れ合うかん[#「かん」に傍点]高い音が交って聞えた。
「おや。――」
それは、どこかで聞いたことのある音響だった。ドンドンという低いながらも、底力のある物音が地鳴りのように、八十助の腹の底を打った。彼は呼吸《いき》をこらし、身体をすくめてその異様な物音に聞き入った。
パチパチというような音が交り始めたと思う間もなく、今度は八十助の身体が、不思議に熱くなって来た。考えてみると、先刻から気がつかなければならなかったことだが、彼が暗黒の箱の中で気がついてからこっち、室内は春のように暖かだった。厳冬の真唯中だというに、まるで春のような暖かさは不思議だった。ところがいま急に熱くなって来たのでこの異様な温度の上昇に気がついたというわけだった。
「何が始まったのだろう?」
と思ううちに、パッと眼の先が明るくなった。といっても暁《あけがた》に薄っすりと陽の光りがさしこんでくる位の明るさだった。奇態なことに、別に臭気というものを感じなかったけれど、―
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