とです。我々は捜査陣を広げて、銀座怪盗(と課長はそう呼んだ)を探しているのですが、どうもわからない。彼をとらえないうちは、気の毒ながら千二少年を、ゆるすわけにはいかんのです」
新田先生も、それを聞いて、なるほどと思った。そこで、仕方なく、千二をぜひ、今自由の体にしてくれと、頼むことは、一時見合わせることにして、その代り、千二に一目あわせてくれるように頼んだ。
大江山課長は、まだ誰にも面会をゆるしていないが、特に新田先生には、それをゆるすことになった。
じめじめとしたうすぐらい留置場で、先生と教え子とは、手に手をとりあって泣いた。あまりの情なさとなつかしさに、どちらも言葉は出ず、涙の方がさきに立ったのである。
やがて、先生は、しわがれた声で千二の名を呼んだ。
「おい、千二君」
「先生!」
「誰がなんと言おうとも、この先生だけは、君が悪者でないことを信じているよ」
「先生、ありがとうございます。僕は、うれしいです」
千二と新田先生とは、また強く手をにぎりあった。
「先生、聞いてください。あの丸木という怪しい人が、僕を、僕の村からこの東京まで、むりやりに連れて来たんです。そうして、あのようなひどいことをやったんです。ですが先生、僕は、あの丸木という人が、どうもただの人間でないと思うのです」
「ただの人間でないと言うと、どんな人間だと言うのかね」
「火星のスパイじゃないかと、思うのです」
「えっ、火星?」
新田先生は、いきなり火星が飛出して来たので、目をまるくした。
「火星? 火星のスパイとは、一体それは、どういうことかね」
新田先生は、目をまるくして、千二の顔をじろじろと見た。
「先生、これは、僕がいくら警視庁の人に話をしても、誰も信じてくれないことなのですが、二、三日前の夜、僕の村へ、火星の生物が、やって来たらしいんですよ」
「なに、火星の生物がやって来た。ふん、そうかね。それで……」
新田先生も、この話には、ちょっと困ったようであった。いくらなんでも、火星の生物が、この地球にやって来るなんて、そんな突拍子《とっぴょうし》もないことは考えられないからである。
しかし千二は、熱心に、そのことを語り出した。
あの湖水《こすい》へ、夜おそく、うなぎを取りにいったこと、妙な音が聞えたこと、光り物がしたこと、うす桃色に光る塔のようなものが、天狗岩の上に斜に突立っていたこと、それから、妙な鳴き声の、不思議な動物がはいまわっていたこと、千二がそれと取組みあいをやって、天狗岩の上から水面へ落ちたこと、気がつくと、へんなにおいのする部屋にいて、そこへあの丸木と名のる怪人が出て来たこと、その丸木が、「火星の生物が隣にいる」と言い、また「これは火星のボートだ」というような意味のことを言ったこと、丸木に捕えられ、はるばる東京の銀座までボロンという薬品を買うため、丸木は千二を案内人として連れて来たこと、それから例の大事件となったことなど、怪奇きわまるこの数日の間の出来事を、千二はくわしく新田先生に話をしたのであった。
それを聞いていた新田先生は、はじめのうちは、笑いながら聞いていたが、そのうちに、だんだんまじめな顔になり、おしまいごろには、膝を千二の方へ乗出して、ほうほうと驚きの声をあげて、聞入った。
「ほう、そうか。千二君。これは笑いごとではない、大変な事件かも知れないよ」
新田先生は、息をつめて、千二の顔を見つめた。
「先生は、わかって下すったんですね。僕、うれしいです」
と、千二は、永い間の自分ひとりの驚きが、初めてほかの人にもわかってもらえたことを嬉しく思った。
「ところで、その丸木とかいう怪人物だが――」
と、新田先生は、頭を左右に振って、
「丸木こそ、実に不思議な人間だ。さっき千二君は、火星のスパイかも知れないと言ったが、とにかく彼をつかまえさえすれば、何もかもわかるだろうと思う。よし、大江山課長さんにも、そう言って、よく頼んでおこう」
千二少年は、又、その時心配そうに、
「ねえ、先生。僕は、もう一つ心配していることがあるのです」
「心配していることって、なに?」
「外でもありません。お父さんのことなんです。お父さんは、僕がいなくなったので、心配していると思うのです」
「あっ、そうか。お父さんは、さぞ心配しておられるだろう。君のお父さんは、まだここへ来ないのかね」
「ええ、何の話もないんですから、まだ来ないのでしょう。きっと僕がいなくなって、お魚を取るのに、大変いそがしくなったためでしょう」
「しかし、それは、どうも変だね」
と、新田先生は、首をかしげた。
なぜといって、千二君が警視庁へあげられたことは、新聞にも出たことだから、お父さんは知らないはずはないのだ。それを知ればお父さんは、千二君がどうしているかと思って、すぐここへ駈けつけて来るであろう。ところが、まだお父さんが来ないというのは不思議という外ない。
(これは、よほどの大事件だ。ゆだんをしていると、たいへんなことになるぞ!)
と新田先生は、腹の中で、おどろいたのだった。
だが、千二の前で、心配そうな顔を見せることはいけないと考え、心配の方は、自分の腹の中にだけしまい、
「千二君、何も心配しないがいいよ。そこで、先生は決心したよ」
「決心? 先生は何を決心されたのですか」
「それはね、千二君のため、先生は、この奇怪な事件を解こうと決心したんだ。君の味方になって、働くんだ。警視庁でも、もちろんしっかりやって下さるだろうが、それだけでは、十分とはいくまい。先生は当分、大学の聴講をやめて、君のため、怪人丸木氏にまつわる謎や、そのほかいろいろとふしぎなことを、出来るだけ早く解いてみようと思うんだ」
「先生、すみません」
千二は、言葉すくなに、先生にお礼を言った。が、彼の大きなうれしさは、両眼からぽたぽたと落ちる涙が、それをはっきり語っていた。
「なあに、お礼なんか言わなくてもいいよ。僕は、自分の教えた生徒が、苦しんでいるのをじっと見ていることは出来ない。生徒がいくら大きくなっても、またえらくなっても、やはり先生は先生だ。生徒のためになるように働くのが、やはり、先生のつとめなんだ」
「先生、ありがとうございます。父にもよろしく言って下さい」
「よしよし、心配するな。君も、そのうちここから外へ出してもらえるだろうが、それまでは、じめじめした気持をすてて、元気でいなければだめだよ。では、失敬」
「先生、もうおかえりになるんですか」
「うん。僕は、これから例の事件について、活動を始めるつもりだ。たとい半日でも、一時間でも、君を早く自由の体にしてやりたいからね」
9 ああ天狗岩《てんぐいわ》
千二少年のため、新田先生は、ついに立ちあがったのだ。
先生は、大学の勉強をしばらくやめることにして、教え子のうえにふりかかった怪事件をとこうと決心した。まことにうれしい新田先生の気持だった。
先生は、警視庁を出ると、すぐその足で東京駅にかけつけ、省線電車で千葉へ急行した。先生は、まず千二の父親に会うつもりであった。
駅を降りてのち、先生は畠と畠との間の道を、例の湖の方へ、てくてくと急いだ。その道すがら、先生は千二のことを何と言って話をすれば一等心配をかけないですむかしらんと、いろいろと考えてみた。
だが、それは、なかなかむずかしいことであった。親一人子一人の仲で、父親は千二のことを目に入れても痛くないほど、かわいがっているのである。その千二が、警視庁の留置場にいることを知ったら、父親はどんなに悲しむか知れない。
新田先生の足は、だんだん重くなった。
ふと気がついて見ると、このさびしい田舎道を、湖の方に向かって、大勢の人々が行きつかえりつしているのであった。
「はて、ばかににぎやかだなあ。お祭でもあるのかしらん」
そう思いながら歩いていると、行きかう二人の話が、ふと先生の耳にはいった。
「どうも、えらいこったね。まだ千二のことを知らんのか」
「知るもんか。千蔵はあのとおりの体だ。そこへ倅の千二のことを聞かせちゃ、かわいそうだよ。悪くすりゃあ、それを聞いたとたんに、ううんといっちまうかもしれないよ」
「そうかもしれないね。あの怪我で、血をたくさん失って、からだがひどく弱っとるちゅうことだ。言わないのがええじゃろう」
新田先生は、胸をつかれたように、はっと思った。
行く人々の話によると、千二の父親は大怪我をしたらしい。一体、どうして大怪我などをしたものであろうか。
怪我をしたればこそ千蔵は、千二のことも知らないし、東京へ駈けつけもしないでいるのだ。
千二は、しきりに父親のことを心配していたが、やはり、それはとりこし苦労ではなく、ほんとのことだった。
「もしもし、千蔵さんがどうかしたのですか」
新田先生は、一人の青年団服の男に声をかけた。その男は、けげんな顔をして、新田先生の顔をながめていたが、
「大怪我をしたんですよ。今うちで、うんうんうなっていますよ」
「ああ、そうですか。どうしてまた、そんな大怪我をしたんですか」
青年団服の男は、目をぱちくりして、
「へえ、あなたは何も知らないんですね。第一、なぜこのような人出がしているんだか、知らないのでしょう」
「ええ、何にも知りません。しかし、私は千蔵さんのところへ用があって、これから、いく者なのです」
「ははあ、なるほど。では、親類の方ですね」と、かの青年は、ひとり合点をして、「それなら話してあげましよう。千蔵さんは、ゆうべ火柱《ひばしら》にひっかけられて、大怪我をしたのですよ」
「えっ、火柱ですか? 火柱というと……」
「火柱というと、火の柱です」
と、青年団服の男は、わかったような、わからないようなことをいった。
「ああ、火柱がどこに立ったのですか」
「天狗岩という岩が、湖の上に出ているのです。すぐその側から、びっくりするような大きな火柱が立って、そばにいた千蔵さんがやられてしまったんですよ」
新田先生は、道行く人の話を聞いてびっくりした。千二の父親が、ゆうべ火柱でやられたというのだ。
「はてな、天狗岩というと、聞いたような名だぞ」
先生は、千蔵の家へ急ぎながら、道々考えた。
天狗岩とは?
(そうだ。千二くんに聞いたのだ)
やっと先生は、天狗岩のことを思い出した。千二が、その天狗岩の上に、ふしぎな光をはなつ塔のようなものが立っているのを、見たと言っていたが、その天狗岩だ。
また、千二は、天狗岩の上へのぼっていって、そこで怪しい生物と、組打をやったと言っていた。その生物と、組合ったまま、岩の上からころがり落ちて、湖にはまった。だが気がついて見ると、例の丸木という怪人がそばにいて、これは火星のボートだと言った。
そういうわけだから天狗岩というのは、この度の事件と、切っても切れないふかい関係のある岩である。
(この岩は、後になって、火星岩と名をかえた。それほど、後になるほど有名になった岩だった)
その天狗岩で千二の父親が大怪我をしたとは、よくよくつきない縁のある岩である。
だが、一体千蔵は、どうして怪我をしたのであろうかと、いろいろ考えながら歩いているうちに、ついに千蔵の家の前まで来た。
たいへんな人だかりであった。村人が、たくさん集っている。みな、心配そうな顔であった。
新田先生は、人波をわけて、中にはいった。すると、ぷうんと、消毒薬のきついにおいがした。奥には、白いうわっぱりを着たお医者さんが、看護婦相手に病人の手当をしているのが見えた。
「どうもいけない。困ったもんだ」
と、千蔵を見ているお医者さまが言った。
新田先生は、玄関に立って、それを聞いていた。
「困りましたわねえ」
と、そばについている看護婦が言った。
「なんとか気のつく方法は、ないものですかなあ」
と言ったのは、勝手の方から、氷ぶくろをかえて来た中年の男だった。近所の人らしい。
新田先生は、そこでしずかに礼をして、はいっていった。先生が名乗をあげると、お医者さんをはじめ次の部屋へつ
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