走りこんだものと見える。それはいいが、防寒服も着ていなければ、酸素かぶとも着ていないのだった。むちゃな話である。
「おお、佐々刑事だ」
「ほう、これが佐々刑事か」
「蟻田博士、あなたは地球が……」
 と、再び佐々刑事が、ことばをつごうとした時、彼はにわかに、まっ青になって、よろよろと、よろめいた。そうして先生と千二が、かけよるよりも先に、王城の床の上に、どうと、たおれてしまった。
 蟻田博士は、すぐに床にひざをつき、佐々刑事の手をにぎった。その時、火星人の医師がかけつけ、博士にかわって、すぐ手当をすると言った。
 博士は、あとのことを頼んで、先生と千二の方へ目配《めくば》せをした。
 千二は、博士が目くばせをするので、たおれた佐々刑事のこともしんぱいだったが、博士のあとにしたがって、天文台の方へ階段をのぼっていった。
 そのとき、千二は、そばの新田先生に、
「どうしたのでしょうね、あの佐々刑事は……」
 すると先生が言った。
「佐々刑事は、火星のボートを分捕ったと放送していたが、今まで、そのボートの中にがんばっていたのだろうね。そうして蟻田博士が来たという話を聞いたので、ボートの扉をひらいて、とびだして来たわけだろう。ずいぶん、がんばりやさんだなあ」
「なるほど。元気がいい人ですね」
「いずれ、あとで、おもしろい話を、たくさん、聞かせてくれるだろう」
 階段をのぼりつめると、りっぱな円形の広間へ出た。すばらしい高い天井、うつくしいかべ、そうして、見事な望遠鏡が、天蓋《てんがい》の間から、夜の大空へ向いている。
「千二、新田、望遠鏡で見なくても、肉眼でよく見えるから、外廊下へ出よう」
 博士は、扉をあけて、外廊下に出た。
 火星には、今、夜の幕が下りているのであった。この天文台は、森のうえから、わずかばかり、首をのぞかせているのだった。だから、この外廊下からは、森の高い梢越しに、荒涼たる火星の夜景が見える。
「ほら、あれを見なさい」
 博士が、そう言って、天空にきらきらと輝く星をゆびさした。
「ええあれは、何という星ですか」
「あれは地球じゃ」
「えっ、地球ですか。地球は、モロー彗星に衝突されて、まだ、あそこに、かけらでもが、のこっているのですか」
 千二は、ふしぎそうに聞いた。
「いや、あれは地球のかけらではない。かけらどころか、地球は、ちゃんとしているのだ」
「えっ、地球は、ちゃんとしているのですか。モロー彗星は、地球に衝突しなかったのですか」
 千二は、とどろく胸をおさえて聞いた。
 四月四日の十三時十三分十三秒に、モロー彗星は地球に衝突するはずだった。ところが、今は、その時刻をすぎているのに、地球はあいかわらず、きらきらと天空に輝いているのであった。
 なんという意外な出来事であろう!
「ああ、ゆめを見ているのじゃないかなあ」
 新田先生は、うめくように言った。
 千二も、地球はかならずこわれるものと思っていたので、こうして地球が、ちゃんとしているのを見ると、ゆめのような気がしてならなかった。そのとき、蟻田博士が、しんみりとしたこえで言った。
「非常な幸運であったといえる。モロー彗星は、当然地球に正面衝突するはずだったのだ。ところが、思いがけないことがおこった。それは、モロー彗星が地球に衝突する前に、月がモロー彗星の方へ近づき、両方で引張りっこをはじめたのだ。だから、モロー彗星は、地球のそばまで来て、もうすこしでぶつかるというところで、月のために軌道が曲ってしまったんだ。だから、地球は、あやういところで、モロー彗星に衝突されないですんだのだ。どうだ、わかったかね」
「なるほど、なるほど。そんなうまいことがあったのですか」
「ははあ、それはおどろいたなあ」
 月が、地球をまもったといえるではないか。
「じゃあ、博士。地球に住んでいる人には、異状がなかったでしょうね」
「さあ、それは、どうかなあ。多分月の軌道もちがったことだろうし、モロー彗星とすれちがうときに、颱風《たいふう》の何十倍かも大きいような大風雨なども起ったり、地球磁気の影響で、思いがけないことがあったり、また、そのようなことが、相当地球の人類をおどろかしたことだろうが、とにかく、外から見たところでは、あのように地球は、あいかわらずきらきらと光っているのだから、そう、しんぱいしなくてもいいと思う」
 月が、地球をモロー彗星からすくったとは、なんという、うつくしいことであろう。まるで戦場で、愛馬が主人の兵士を、敵弾からすくったようなものではないか。
 蟻田博士を中に、千二と新田先生とは、きらきら輝く地球の方をじっと見つめたまま、うごこうともしなかった。
 そのとき、千二が、
「博士は、地球があやうい目からすくわれたことを、前から知っていられたんですね」
 と、すこし、うらめしそうにたずねた。すると、蟻田博士は首をふって、
「いや、地球が大丈夫だと、はっきり知ったのは、たった今地球のすがたを、夜の大空に仰いで、はじめて知って安心したんだ」
「でも、さっき博士は、前からそれを知っていられるような口ぶりでしたよ」
「ああ、あれかね。あれは、こういうわけだ。もし、地球とモロー彗星とが、宇宙で衝突すれば、火星のうえにいるわれわれにも、なにか大きな振動を感じるはずだし、また大きな光が宇宙にひろがるから、火星のうえでも、大さわぎがはじまるわけだ。だが、衝突の時刻をすぎても、すこしもそんなことがなく、たいへんしずかだったので、わしは、かねて月がすこし異状をおこしかけていたことを思いあわせ、ははあ、これは、地球がうまく、あやうい目をのがれたんだなと、さとったんだよ。それだけのことじゃ」
 蟻田博士の予想は、ほとんどあたっていたが、月の影響がはいって来るところが、すこし予想がはずれたのである。しかし、地球があやうい目をのがれたことは、神のおまもりと、いうほかはあるまい。
「……地球は衝突からすくわれた。しかしこれからは、火星人と競争することになるから、われわれ地球の人類は、これまでよりも、勉強をしなければ、大宇宙の指導者の地位を、火星人にとられてしまうよ。勉強だ、大勉強だ」
 蟻田博士は、拳をふりながら言った。千二も先生も、つよくうなずいた。



底本:「海野十三全集 第8巻 火星兵団」三一書房
   1989(平成元)年12月31日第1版第1刷発行
初出:「大毎小学生新聞」大阪毎日新聞社
   1939(昭和14)年9月24日〜1940(昭和15)年12月31日
   「東日小学生新聞」東京日日新聞社
   1939(昭和14)年9月24日〜1940(昭和15)年12月30日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:kazuishi
2007年1月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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