。彼は悪い夢をまだ見つづけているような気がしていた。
 千二は、警視庁の留置場へほうりこまれたのち、ほんのちょっと調べられただけで、あとはそのまま留置場の中に、忘れられたようにとめおかれた。
「うそをつくな。うそをついている間は、一カ月でも二カ月でも、ここへほうりこみっぱなしだ。一つ、よく考えなおしてみろ」
 そういう言葉を、千二は、痛いほどつよく、小さい胸におぼえている。それは、取調が終って、再び留置場にほうり込まれる前に、掛官の大江山課長から、なげつけられた言葉だ。
 だが、千二は、なにもうそなどはついていない。ほんとうのことを答えたのであるが、課長が、それをほんとうにしないだけのことだった。
 千二のことも新聞に出た。
 ある新聞には、千二の顔が大きく出ていた。それはどこでとった写真か、千二が見たら、きっとなげくに違いない写真だった。
 その写真は、一年前、成田町でとったものだ。その時、写真屋さんの店へ上ったのは、千二ただ一人ではなかった。新田《にった》先生も、一しょだった。つまり新田先生が、小学校をおやめになって、大阪へ行かれるのを、成田町まで千二が送って来て、そうしてその別れの記念にとった写真であった。新聞社は、どこからか、その記念写真をさがし出して来て、千二の顔だけを大きく伸ばして、写真版につくりあげたのである。思出のふかい写真から、複製したものだったのである。
 だが、千二は、彼の顔が新聞に出たことは知らない。だから、その写真が使われたことさえ、知らないのだ。
 しかしながら、新田先生の方では、千二の顔を新聞の上に発見して、たいへんおどろいた。そうして顔をまっかにして、怒りの声を発した。
「こんなばかなことが、あってたまるものか。あの千二君が、共犯者だなんてことがあるか!」

 千二少年のつよい味方が、一人あらわれたのである。
 新田先生は、つい一年前に別れた教え子の千二が、とんでもないうたがいをうけ、警視庁に入れられたことを朝刊で知り、その場で東京へいこうと決心した。それはもちろん千二のために弁護して、留置場から一刻も早く出してやりたいためだった。
「あの千二君が、あんなむさくるしい留置場にはいっているのだと思うと、かわいそうで、たばこをすう気さえ起らなかった」
 と、後に新田先生は、その頃のことをふりかえって、思出話をなさったことである。
 とにかく、その朝先生はすぐに電話を日本空輸にかけた。それは東京行の旅客機に乗れるかどうかをたずねたのである。たとえ一時間でも一分間でも、早く千二の困っている東京へいきたいと、新田先生は飛行機でいく道を選んだのである。
 幸いに、座席が一つあった。予約してあった客の一人が、急に都合がわるくなって、それに乗らないことになったのである。新田先生は、すぐそれに乗りこんだ。
 この新田先生というのは、千二少年の組に理科を教えていた先生である。一年前に、小学校をよして、大阪へいった。大阪では、教鞭をとるのではなかった。大阪帝国大学工学部の聴講生となって、さらに勉強をしようというのであった。新田先生の専攻するのは、ロケットであった。
 ロケットというのは、飛行機と同じように、空中に飛びまわる新しい乗物である。まだ研究が完成していないので、あまり大きなものはないが、行く行くは、地球の旅行にも、あるいはまた宇宙を飛びまわるにも、このロケットがたいへん都合のいい乗物であった。
 新田先生は、お昼前、無事に東京羽田の空港に着いた。
 新田先生は、東京の羽田空港で旅客飛行機から下りると、すぐその足で、とるものもとりあえず、千二少年の留置されている警視庁へ駈けつけた。
「何の用ですかね」
 と、受附の警官はたずねた。
 そこで先生は、じつは、これこれしかじかと、千二少年のことをのべ、あの少年は自分のいい生徒だったから、殺人事件を一しょにやるような悪い子供ではない、ぜひ許してやっていただきたいと、まごころを面《おもて》にあらわして言った。
 受附の警官は、たいへんいい人であった。新田先生の話に、すっかり同情して、
「そうですか。そういうことなら、誰よりもまず捜査課長の大江山警視にあって、よく話をしたらいいでしょう。ちょっとお待ちなさい。今会えるかどうか、私が聞いてあげましょう」
 と言って、親切にも、他の来訪客を待たせておいて、大江山課長へ話をしてくれた。
 その口添がきいたのか、課長は、すぐ新田先生に会ってくれることになった。
 先生が、みちびかれてはいったのは、応接室ともちがう小さな部屋だった。壁は防音材料で出来、となりへ話が洩れないようになっていた。その壁に、一枚の鏡がかかっているのが、どうもこの部屋に似合わしからぬものだったが、これは、この部屋からみると鏡としか見えないが、隣室から見るとこの
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