。だから、ここにはなんにも書くまい。
 博士が、放送を終えて室を出ると、そこには、その筋の掛官が待っていた。おだやかでない博士の放送を聞いて、すぐさま自動車で駈附けたらしい。
 博士は、その場からその筋へ伴なわれていった。そうして大江山課長という掛官で一ばんえらい人から、「しゃべってはならない」と命令された。
「なぜしゃべっては悪いのですかな。わしは苦心の末『火星兵団』という意味の光を空中に発見した。そうして、それはまさに人類にとって一大事だ。それをしゃべって悪いと言われる貴官の考えがわしにはわからん」
 と、蟻田老博士は不満をうったえた。
「いや、その――『火星兵団』という意味の光を空中に発見した――というのが、困るのです。そんなばかばかしいことが、出来るとは思われない。火星を警戒しろというのはかまわないが、あなたが観測中に何を知ったか、その内容については、後で解除命令のあるまで、誰にもしゃべってはなりませんぞ」
 大江山課長は、きつい顔で申し渡した。
 ふしぎな謎の言葉「火星兵団」!
 蟻田博士の放送によって「火星兵団」のことは、日本全国津々浦々にまでつたわった。そうして、その時ラジオを聞いていた人々を、驚かしたものである。
 ここに一人、蟻田博士の放送に、誰よりも熱心に、そうして大きなおどろきをもって、耳を傾けていた少年があった。この少年は、友永千二《ともながせんじ》といって、今年十三歳になる。彼は、千葉県のある大きな湖のそばに住んでいて、父親|千蔵《せんぞう》の手伝をしている。彼の父親の手伝というのは、この湖に舟を浮かべて、魚を取ることだった。しかしどっちかというと、彼は魚をとることよりも、機械をいじる方がすきだった。
「ねえ、お父さん。今ラジオで、蟻田博士がたいへんなことを放送したよ。『火星兵団』というものがあるんだって」
 千二は、自分でこしらえた受信機の、前に坐っていたが、そう言って、夜業に網の手入をしている父親に呼びかけた。
「なんじゃ、カセイヘイダン? カセイヘイダンというと、それは何にきく薬かのう」
「薬? いやだねえ、お父さんは。カセイヘイダンって、薬の名前じゃないよ」
「なんじゃ、薬ではないのか。じゃあ、うんうんわかった。お前が一度は食べたいと言っていた、西洋菓子のことじゃな」
「ちがうよ、お父さん。火星と言うと、あの地球の仲間の星の火星さ。兵団と言うと、日中戦争の時によく言ったじゃないか、柳川兵団《やながわへいだん》だとか、徳川兵団だとか言うあの兵団、つまり兵隊さんの集っている大きな部隊のことだよ」
「ああ、そうかそうか」
「お父さん、『火星兵団』の意味がわかった?」
「文字だけは、やっとわかったけれど、それはどういうものを指していうのか、意味はさっぱりわからぬ」
 千蔵は大きく首を振るのだった。
「おい千二、その『火星兵団』という薬の名前みたいなものは、一体どんなものじゃ」
 父親は網のほころびを繕う手を少しも休めないで、一人息子の千二の話相手になる。
「さあ『火星兵団』ってどんなものだか、僕にもわからないんだ」
「なんじゃ、おとうさんのことを叱りつけときながら、お前が知らないのかい。ふん、あきれかえった奴じゃ。はははは」
「だって、だって」
 と、千二は口ごもりながら、
「『火星兵団』のことは、これから蟻田博士が研究して、どんなものだかきめるんだよ。だから、今は誰にもわかっていないんだ」
「おやおや、それじゃ一向に、どうもならんじゃないか」
「だけれど、蟻田博士は放送で、こんなことを言ったよ。『火星兵団』という言葉があるからには、こっちでも大いに警戒して、早く『地球兵団』ぐらいこしらえておかなければ、いざという時に間に合わないって」
「ふふん、まるで雲をつかむような話じゃ。寝言を聞いているといった方が、よいかも知れん。お前も、あんまりそのようなへんなものに、こっちゃならないぞ。きっと後悔するにきまっている。この前お前は、ロケットとかいうものを作りそこなって、大火傷《おおやけど》をしたではないか。いいかね、間違っても、そのカセイなんとかいうものなんぞに、こっちゃならないぞ」
「ええ、大丈夫。ロケットと『火星兵団』とはいっしょに出来ないよ。『火星兵団』を作れといっても、作れるわけのものじゃないし、ねえおとうさん、心配しないでいいよ」
「そうかい。そんならいいが……」
 と、父親も、やっと安心の色を見せた。
 だが、世の中は一寸先は闇である。思いがけないどんなことが、一寸先に、時間の来るのを待っているかも知れない。千二も父親も、まさかその夜のうちに、もう一度「火星兵団」のことを、深刻に思い出さねばならぬような大珍事に会おうとは、気がつかない。
 その夜ふけに、千二は釣の道具を手にして、ただひとり家を出か
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