変なにおいは、地球の上ではないにおいだ。
だが、ボートにしては、天井があるのが、不思議である。火星では、天井のあるボートを使うのだろうか。
「おい。お前を今元気にしてやるから、そのうえで、一つ頼みたいことがあるんだ」
その男は、突然用事のことを話しかけた。
「頼みたいことですって」
千二は、目をぱちぱちして、この不思議な男の顔を見上げた。
「一体、おじさんは、何という人なの。ああそうか。おじさんも、やはり火星の生物なんだね」
そうだ、それに違いない。人間と同じ恰好をしていたので、今まで、人間のように思って話をしてきた。しかし火星のボートの中にいて、いばっているからには、やはり火星の生物に違いない。しかし、それにしては、日本語がこんなにうまいのは、どうしたということであろう。
「お、おれのことかね」
と、その大男は、またどぎまぎしているようだったが、やがて蜘蛛のように肩を張ると、
「お、おれは人間さ。お前と同じ人間なんだよ。ほら、よくごらん。人間と同じ顔をしているだろう。話だって、よくわかるだろう。火星の生物じゃないさ。だから、おれをこわがることはない。仲好くしようや」
と、そのきみのわるい大男は言うのであった。とんでもないことだと、千二は心の中で思ったが、口に出しては、この大男をおこらせるだろうと思って、やめた。
「おじさんは、ほんとうに人間ですか」
「そ、それにちがいない。なぜ、そんなくだらんことを聞くのか」
「でも、変ですね。火星のボートの中に、地球の人間が一しょにいるなんて」
千二は、生まれつき胆はふとい方だった。始めは、びっくりして、すこし、あわてていたが、だんだん気が落ちついて来た。
「べつに、変なことはない。まあ、そんなことはどうでもいいじゃないか。おれのたのみを聞いてくれれば、たくさんお礼をするよ」
「さっきから、たのみがあると言っているのは、どんなことですか」
こんなきみのわるい男にたのまれる用事なら、どうせ、ろくなことではあるまい。
「なあに、ちょっとした買物があるんだ。くすりを買いたいんだ。それについていってもらいたい」
「えっ、くすりの買物? どこへ買いにいくのですか」
「どこでも近いところがいい。たくさんくすりを売っているところがいいのだが、東京までいった方がいいだろうね」
「東京? へえ、東京ですか。ははあ、すると、僕たちは、また地球にまいもどるのですか」
「ふふん、それはまあ、なんとでも考えるさ。とにかく東京までいこうじゃないか。今すぐお前を元気にしてやるから、待っていろ。元気にしてやらないと、途中で歩けなくなっては困るからね」
大男は、向こうへいこうとする。それを見て千二は、うしろから呼びかけた。
「おじさん、ちょっと待ってください。おじさんの名前は、なんというのですか」
「おれの名前か。それは――」
と、かの大男は、背中を見せたまま、だまって立っていた。すぐには、名前が出て来ないらしい。
「おじさんは名前がないのですか」
「ばかを言え。おれの名前は……」
と、彼はうなっていたが、
「そうだ、おれの名前は、丸木《まるき》というんだ。丸木だ。よくおぼえておけ」
そう言うなり、丸木と名乗る大男は、うす桃色の湯気《ゆげ》の彼方に、姿を消してしまった。
あとには千二一人がのこった。あいかわらず、寝かされたままである。からだは、やはり思うように、うごかない。一体どんなものをつかって、自分のからだを縛ってあるのか、それをたしかめるために、首をもち上げようとしたが、首がじゅうぶんに上らない。のどのところも、何ものかで、床に縛りつけられているらしい。千二は、いつの間にか、彼が捕虜《ほりょ》になっていることに気がついた。
捕虜といっても、あたり前の捕虜ではない。火星の生物が乗組んでいる火星のボートの中に、捕虜となってしまったのである。これから先どうされるのであろうか。このまま火星へつれていかれるのであろうか。それとも火星の生物の餌食になってしまうのであろうか。考えれば考えるほど、不安はだんだん大きくなって来る。こうなると、うす気味わるい男ではあるが、あの黒いものずくめの、丸木と名乗るおじさんを、たよるしかない。
その時、とつぜん、湯気の向こうに、火花のようなものが、ぱっときらめいたかと思う間もなく、千二は全身に、数千本の針をふきつけられたように感じた。
「あっ、いたい」
だが、それは針ではなかった。全身がぴりぴり痛むのだった。電気にさわった時の感じと同じだ。いつまでもぴりぴりと痛む。
ぴりぴりと、はげしい痛みが、千二のからだを、だんだんつよくしめつけていった。
「あっ、苦しい」
おしまいに、千二はもう息が出来ないくらい、苦しくなった。
「おうい、丸木さあん」
千二は、遂《つい》
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