なにしろ、崖の高さは七、八十メートルもありますので、あれからおっこちたのでは、とてもたまりません。その上、車体はごろごろ転がりながら、すぐ発火いたしました」
「転がるところを見ていたのかね」
「はい、私は、崖の上から、それを見ていたのであります」
「そうか。乗っていた者の死骸が、見当らないという話だね」
「はい。死骸はおろか、骨一本見当らないのです。よく焼けてしまったものですなあ」
「……」
 課長は、それに答えないで、懐中電灯をつけて、あたりを照らした。焼けくずれた自動車のエンジンが、地面をはっているような形をしている。そこから二、三メートル先は、小川であった。
「ふうん、これは、どうも腑に落ちないことだらけだ」
「どこが、腑におちないというのですか」
 闇の中から、ぬっと顔を出したのは、佐々刑事であった。彼は、大江山課長が、何か言出すのを待っていたようであった。
「おお、佐々か」
 と、課長は、後を振返り、
「どうも腑におちないことがあるんだ。ガソリンに火がついて、崖の上からおちた自動車を焼いたことは、よくわかるが、乗っていた人間の体はもちろん、骨一本さえ見当らないのだ。へんではないか」
「だって、課長さん。ガソリンに火がついて、たいへんはげしく燃えたため、骨もなんにも、すっかり跡形なく焼けてしまったんではないのですか」
「ガソリンが燃えたくらいで、骨が跡形なくなってしまうだろうか。そんなことはない。骨はもちろん残るはずだ。まあ、黒焦死体がころがっているというのが、あたりまえだ」
「じゃあ、ガソリンではなく、もっと強く燃えるものがあって、それが、骨まで焼いてしまったのじゃありませんかね。たとえば、焼夷弾《しょういだん》みたいなものが、自動車に積んであったと考えてはどうです」
「それもおもしろい考え方だ。しかし、たとえ焼夷弾が燃出したとしても、そこから少し離れた所にあるものは、焼け残るはずだし、ことに、骨が一本残らず燃えてしまって、灰も残っていないというのは、ちと変だね」
 課長は、小首をかしげた。
 佐々刑事は、いらいらして来た。
「課長。どうも変だというだけじゃ、困りますねえ。で、その事について何かいい答えをもっているのですか」
「うん。だから私は、こう考えてみた。とにかく、この自動車に乗っていた人間は、生きていると思う」
「えっ、生きている。まさか――」
 佐々刑事は、あまりのことに、あいた口がふさがらないといった形だった。
「課長、あなたのおっしゃることの方が、変ですねえ。あのとおり、高い崖の上から自動車が、ここへおちたのですよ。たとえ、ガソリンに火がつかなくとも、人間は脳震盪《のうしんとう》かなんかを起して、死んでしまうはずです。生ているなんてことは、考えられませんなあ」
 そう言って、佐々刑事は、課長の顔を、じっとのぞきこんだ。課長は、どうかしているのではないかと思ったのである。
「だが、佐々。骨が一本も見あたらないのだから、私は、乗っていた人間が、ここで焼け死んだとは思われない」
「だって、課長、――」
「もちろん、私にも、あの高い崖の上から人間が落ちて、それで、命が助るものとは考えない。しかし、骨が一本も見当らないのだから、崖からおちた人間は、命が助って、どこかへいってしまったとしか考えられないのだよ。不思議というほかない」
「そんな無茶な考えはないですよ、課長。崖の上からおちた人間が、命を全うしたばかりか、そのままどこかへ行ってしまったというのは」
「やむを得ない。理窟では、そうなるのだよ」
「それにしても、変ですよ。それゃ、人間の体が、鋼鉄造りであれば、助るかもしれません。骨といってもたいして固くないし、柔かい肉や皮で出来ている人間が、あの高い崖の上からおちて、死なないで、すぐさまどこかへ行ってしまったなどと……。あっはっはっ。これはどうもおかしい。あっはっはっ」
 佐々は、大きなこえで笑い出した。


   16[#「16」は縦中横] 大発見


 同じ夜のことであった。
 崖の上に並んでいる蟻田博士の天文台では、新田先生が、昼間からぶっ通しで、望遠鏡をのぞいていた。
「おい、新田。お前は、なかなかがんばり屋だのう。たのもしい奴じゃ」
 と、蟻田博士が、いつになく新田先生をほめて、椅子から立って来た。博士もなかなかがんばり屋で、この天文台へかえって来てからは、ぶっ通しで、本を読んだり、しきりに鉛筆をはしらせて、むずかしい計算をするなど、勉強をつづけていたのであるが、その博士が、今になって、やっと新田先生の熱心さに気がついたのであった。
「おほめにあずかって、恐れ入ります。しかし私は、モロー彗星の衝突が起っても、何とかして地球の人類を助けたいのです。それを考えると、じっとしていられないのです」
 新田先生
前へ 次へ
全159ページ中37ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング