うか。いや、人類の好くと好かないとにかかわらず、現にモロー彗星は、刻々地球に追っているのだ。
「助かる方法はないでしょうか、博士」
 蟻田博士は、だまって、鉛筆で、白い紙のうえを叩いている。
「ねえ、博士。モロー彗星のため地球がぶち壊されても、何とかして、我々人類が助る方法はないものでしょうか」
「ないねえ。絶対に助る手はない」
 博士は、他人のことのように言う。博士はどうなるのか。博士だって、やはり人類である以上、一しょに死ぬのではないか。それとも、自分だけは助るつもりであろうか。
「先生は、生命を全《まっと》うされますか」
「いや、むろんわしも死ぬさ」
 博士は、新田め、何をわかりきったことを聞くのだと、言いたげな顔であった。
 新田先生の最後の頼みの綱も、ついに切れた。先生は、千仭の断崖から、どんと下へ突落されたように思った。もう立っていることが出来ないほどだった。
(だが、――)
 と、新田先生は、その時口の中で言った。
(だが、万物《ばんぶつ》の霊長《れいちょう》たる人間が、そうむざむざと死滅してなるものか!)
 人間というものは、どうにも、もういけないときまった時に、不思議にも、それをはねかえす力が出て来るものである。新田先生も、今それをさとった。
「もし、博士。私は死にません」
 新田先生は、きっぱりと言いきった。
「何じゃ。お前は死なぬというのか。ほほう、地球が粉々になっても、死なないというのか。お前は、変になったのではないか」
 蟻田博士から、あべこべに変になったのではないかと聞かれた。世の中のことは、ずいぶんおもしろい。
(変になった?)
 新田先生は、自分でも、変になったのではないかと思った。しかし先生は、どうしても死ぬつもりはなかったのである。死ぬ気もしなかったのである。
「うん、私はきっと、生きのびて見せる!」
 先生は、顔を赤くしてどなった。


   15[#「15」は縦中横] 大江山課長


 大江山捜査課長のにせ者が現れ、警視庁へ電話をかけ、千二少年をゆるして留置場から出すよう命令したと聞き、本物の課長は、驚きのあまり、顔色を失ったことは前にのべた。
「どうも、そうだろう。おれは、あの電話のことを後で聞いて知ったんだが、あれは警視庁の黒星だ」
 と、佐々刑事はのこのこ前に出て来た。課長はよほど驚いたものと見え、無言で、机の上に頬杖《ほおづえ》をついて考えこんでいる。
 課長からの電話だと思って、千二少年を出してやった掛りの責任者は、すっかりおそれ入ってしまって、これまた石像のように固くなって、突立っているばかり。
「だが、あの少年は、なかなかはしっこい子供だったから、うまく家へ逃げかえったんじゃないかしら。どうです、千葉へ電話をかけてみては」
 と、佐々刑事ひとりが、元気よくいろいろとしゃべる。
 課長は、相変らず、頬杖をついたまま、動こうともしない。
「どうです、課長。千葉へ電話をかけては……」
 佐々は、課長を元気づけたいと思っているようで、机の前から半身を乗出して、課長の顔をのぞきこんだ。
 大江山課長は、はっきりしない顔つきのままで、唇だけを動かした。
「それは、だめだ」
「課長、なぜだめです。この名案が……」
「名案?」課長は、じろりと上目で佐々の顔を見て、
「そんな名案があるものか。佐々《さっさ》、お前は、まだライスカレーの食い方が足りないらしいぞ」
「ははあ、ライスカレーですか。はははは」
 と、佐々は、とってつけたように笑い出した。佐々お得意のライスカレーのことを、課長が言ったので笑い出したわけであるが、佐々としては、ここで大いに笑って、課長を元気づけたい一心だった。
 だが、課長は、佐々の笑いにつられて、笑い出しはしなかった。
「そうじゃないか。なぜと言えば、もし千二が朝のうちにこの留置場から出ていったものとすれば、お昼すぎには千葉の家へかえりついているはずだ。そうだろう」
「まあ、そうですね」
「かえりつけば、千葉警察の者が、こっちへすぐ報告して来るはずだ。なぜと言えば、千二の家は、ちゃんと警官が張番をしているんだからな」
「なるほど」
「ところが、今はもう夜じゃないか。しかるに、千葉からは、何の報告も来ていない。すると、千二は、まだ自宅へかえりついていないことが、よくわかるじゃないか」
「な、なるほど」
 佐々は、なるほどの連発だ。
「そこだ、私のたいへん心配しているところは」
 と、課長は、語気を強めて言って、
「だからこれは、ひょっとすると、千二が途中で例の怪人丸木にさらわれてしまったのではあるまいか。そういう疑いが起るではないか」
 課長だけあって、考えがかなり深かった。ほんとうに課長の言うことは、中《あた》っていたのである。怪人丸木は、たしかに千二を途中でさらって
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