ははは、お前は、この師の学力が、どんなに大きく、かつ深いものであるかを知らないとみえるのう。まあ、やってみるがいい。誰のところでもいい、天文学者という学者のところを歴訪して尋ねてみるがいい。恐らく、それに答えてくれる学者は、一人もいないであろう。いや、第一、モロー彗星が地球に衝突することすら、誰も気がつかないであろう。ふん、自慢じゃないが、世界広しといえども、わしよりえらい天文学者は、ただの一人もいないのじゃ」
 そう言って、蟻田博士は、ここちよげに、からからと笑った。
 蟻田博士の、恐るべき自信!
 モロー彗星と地球とが、やがて衝突するだろうことを知っているのは、世界広しといえども自分一人だと言う。
 あまりにも、大きなことを言いすぎるではないか。
 だが、新田先生は、博士が大ぼらを吹いているのだと、一がいには、きめられないと思った。なぜなら、博士が実にすぐれた学者であることは、その昔、博士の下《もと》で助手のようなことをしていたので、そのころからよく知っている。そのころアメリカのウィルソン山の天文台に、テーラーという博士がいたが、その人こそ、その頃における世界一の天文学者だった。そのテーラー翁がなくなるすこし前に、蟻田博士のところへ一通の手紙が来た。新田先生も、あとでその手紙を見せてもらったけれど、その文中にこんな文句があった。
(ああ、自分は、初めて安心ということを知った。それは自分の亡きあと、あなたのような天才的天文学者がいるから、天文学については、心配がいらないということを発見したからである。蟻田博士よ、どうかあなたは世の中の評判を気にしたり、またえらくなったり、金持になったりすることを願ったりしないで、一命をただひたすら学問のために捧げてもらいたい。世の中からわる口を言われても、学問の上のことでは、決して、弱くなってはいけない。そうすることが、世界人類のため、真の幸福をもたらす道であるからである)
(自分は恐れる。あなたの上に、あるいは、世間の非難が集中する時が来るのではないかと。なぜなれば、あなたはきっと、オリオン星座附近に横たわる、千古の秘密について興味をもち、そうしてついに一つの恐しい答えを得るかも知れないからだ。その恐しい答えこそ、世界人類が常日頃願っている幸福をにぎりつぶし、大暗黒を与えるものであるかも知れないからだ)
 テーラー老博士の手紙の中には、こうした意味ぶかい文句があったのである。

 モロー彗星と地球との衝突は、もうさけることの出来ないものだ――と、蟻田博士は信じきっている。だが、その衝突が、いつ起るのやら、それについては、口をかたくむすんで、語ろうとしない博士だった。
 新田先生は、どうかして、その衝突の予想日を、博士から聞出したいと、あれやこれやと、手を考えた。
「もし、博士。僕にもお手伝をさせて下さい。モロー彗星の位置の計算でもやりましょうか」
 すると、博士は笑って、
「ふふん、お前なぞにそんなむずかしいことが、出来るはずがないよ。手伝ってくれるというのなら、この望遠鏡で、モロー彗星の様子にかわりがないか、それを気をつけていてくれないか」
 そう言って、博士は望遠鏡を新田先生にゆずった。
 もちろん博士は、その望遠鏡の使い方について、一通りのことを新田先生に、教えてやらなければならなかった。また、モロー彗星が、これまでどんな風に形を変えていったか、それについても、写真や観測表でもって、大体の知識を入れてやらねばならなかった。おかげさまで、新田先生は一気に最新の天文学をのみこむことが出来た。
 そこで、新田先生は、ひとりで、望遠鏡を動かすことになった。
 ただ残念なことには、モロー彗星のいるところが、今ちょうど太陽面の近くにあり、そのうえ雲が邪魔をしているので、はっきり見えないことだった。しばらく時間をまつよりほか、仕方がない。
 その代り、新田先生は、望遠鏡をいろいろと動かして見ることが出来た。博士が世界一を誇るだけあって、じつにすばらしい明かるい望遠鏡だった。そのうちに、新田先生は、異様なものを、望遠鏡の中にとらえた。


   12[#「12」は縦中横] 三つの獲物《えもの》


 湖畔に起った怪事件を取調べるため、かねて千葉へ出張中だった大江山捜査課長は、一日向こうに泊り、その翌日の夕刻、東京へ帰って来た。
 帝都は、今ちょうど暮れたばかりで、高層ビルジングのあちこちの窓には、電灯の火が明かるくかがやき、その下で、いそがしい仕事をかたずけるため居残りをしている社員たちの姿さえ、はっきり見られた。
「課長、すぐ本庁へ行かれますか」
 と、自動車の運転をしている警官がたずねた。
「ああ、すぐ本庁へたのむ」
 課長としては、こういうわけのわからない事件の報告は、なるべく早くすませておか
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