いないのだ。だが、すぐあとから持って来る。金を持って来れば、かならずボロンの大壜を三つ渡してくれるね」
「そんなに、くどくおっしゃって下さらなくとも、大丈夫です。かならずお渡しいたします」
「きっとですぞ。きっとだ! もしそれをまちがえたら……」
 と言いかけて、丸木は、後の言葉をのみこみ、
「いや、すぐにお金を持って来る。待っていてくれたまえ」
 おし問答のはて、丸木は薬屋の店をとび出した。
「おい千二。お金を手に入れなければならないんだ。さあ、お前も来い」
 何を考えたか、丸木は、千二の手を取ってどんどん走りだした。
 もう午後九時は近い。が、銀座通は、昼間のように、たいへんにぎやかであった。
 丸木はその人込の中をわけていく。一体彼は、なぜお金を持っていないのであろうか。
 丸木は、千二の手を引いたまま、夜の銀座通の人波をかきわけて、どんどん前へ歩いていく。
「丸木さん、どこへいくの」
 千二が、心配になって聞くと、
「だまっておれ。声を出すと、ひねりころすぞ」
 丸木は気がいらいらしているらしく、ひどい言葉で、千二をしかりつけた。千二は、丸木の冷たい手から、自分の手をはなそうと試みたが、丸木の手は、まるで大きな釘抜のように、千二の手をしめつけていて、はなすことが出来なかった。
 丸木の歩調が、少しばかり遅くなった。彼はしきりに、いろいろなものを売っている店先に、目を向けている。そこには、美しく飾られた飾窓をのぞきこんでいる人もあれば、中で何か買物をしている人も見える。
「ああ、金だ、金だ」
 丸木は、時々ひとりごとを言った。
 そのうちに、丸木はぴったりと足を止めた。
「どうしたの、丸木さん」
「しっ、だまっておれと言うのに……」
 この時丸木の目は、大きな鞄店の中で、りっぱなハンドバッグをたくさん前に並べ、どれを買おうかと、しきりに見ている一人の年の若い、洋装の女の上に釘づけになっていた。
 やがて、その洋装の女は、中で一番りっぱな鰐革のハンドバッグを買った。その時かの女は、抱えていた白い蛇の革のハンドバッグの中から、たくさんの紙幣をつかみだして、店員に支払った。
「ああ金だ。たくさん金を持っている」
 丸木は、またうなった、そうして、買物をして出ていくその洋装女の後姿をふりかえって、じっとみつめていたが、
「おい千二。ここで待っていてくれ」
 と言った。
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