顔をよく見ることができた。博士は口の中でなにかぶつぶついっていた。
「デニーの旦那。アリゾナの方はどうですかね」
 ジグスが声をかけた。
「や、や、ふん、ジグスか。このへんの衆はあいかわらず口が悪いのう」
 博士は、ジグスの問いにはこたえず、憤慨《ふんがい》の言葉をもらした。
「旦那。みんな口は良くないが、腹の中はみんないいんですぜ。旦那が一日も早く火星へ飛んで行けるように、みんな祈っているんですよ」
「そうとも思われないが……」
「旦那、火星への出発はいつですか。もうすぐですか」
「そんなことは、話せないよ」
「いって下さいよ。わしは仲間のやつと賭をしているんですからね」
「どんな賭だね。君はどういう方へ賭けたのかね」
「わしですかい。わしはもちろん、デニー博士は今年の十二月までに地球を出発して火星へ向かうであろうという方へ入れましたよ。今となってはとんだところへ入れたものです」
「ふふふふ。まあいいところだ」
「なんですって。もう一度いってくださらんか」
「いや、ふふふふ。賭けというものは必ず負けるものじゃと思っていればいいのだ。そうすれば思いがけない儲けがころがりこむじゃろう」
「ねえ旦那。火星探険の乗物は、何にするのですかい。ロケットかね、それとも砲弾かね」
「ふふふふ。素人には分らんよ。もっともわしにもまだはっきりきまらないのだがね」
「なんだ、まだ乗物が決まらないのじゃ、わしの賭けもはっきり負けと決った」
「君みたいに気が早くてはいかんよ。火星探険でも何でもそうじゃが、焦っては駄目じゃ。気を長く持って、いい運が向うから転がりこむのを待っているのがよいのじゃ。な、気永に待っているのがよいのじゃ。待っていれば必ずすばらしい機会は来るもの。焦《あせ》る者不熱心な者は、そういうすばらしい機会をつかむことができん」
「旦那。お前さんの火星探険は三十年も機会を待っているようだが、それはあまりに気が永すぎますぜ。悪くいう者は、デニー博士は火星探険などと出来もしない計画をふりまわして金を集める山師だ、なんていっていますぜ」
「山師? とんでもない下等なことをいう仁があるものじゃ。今に見ていなさい。一旦その絶好の機会が来れば、余は忽然《こつぜん》としてこの地球を去り、さっと天空はるかへ舞いあがる……」
「あ、いたッ」
 博士の言葉のうちに、横合で悲鳴が聞えたその方を見ると
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