》くマートンの右手があがった。と博士の肩がぶるぶると慄《ふる》えた。
「重力中和機の全部。スイッチ入れろ」
「よいしょッ」
と、ぐぐぐぐッと地鳴りのような響がして、けたたましく警鈴《ベル》が鳴りだした。
「ああッ」
「うーむ……」
エンジン室の全員が、電気に引懸ったように呻《うな》った。そして誰もが、死の苦悶のような表情で、目を閉じ、歯を喰いしばった。
ネッドは、油の海へいやというほど顔をおしつけられた。張は配電盤へおしつけられ、服のお尻のところへ火花がぱちぱち飛んだ。河合はマートン技師の股ぐらへ首をつっこんでしまった。山木は、後へ急に引かれて、鋼鉄の梁に宙ぶらりんとなった。
時間にして四十秒の短い間だったが、人々はそれを百年のように永く感じた。その間人々の息は停り、心臓さえ、はたと停ってしまったように思った。
「うまく行ったぞ。重力は減った。墜落の速度は落ちた。た、た、助かるぞ、これなら……」
最初に声を出したのは、艇長デニー博士であった。博士の最後的努力が遂に効を奏したのだった。
嵐が急にやんだように、狂瀾怒濤《きょうらんどとう》が一時に鳴りを鎮めたように、乗組員たちの気分は俄《にわ》かにさわやかとなった。立っていた者は、へたへたとその場に崩れるように尻餅をついた。
油の海の中に気を失っているネッドが、河合によって助け起された。そこへマートン技師が駆けつけて、活《かつ》を入れてくれたので、ネッドは息をふきかえした。助けられた者も、助けた者も、共に顔はまっ黒で、全身から油がしたたり、まるで油坊主のようであった。
「……高度五百メートル、六百メートル。少し上昇していきます」
いつ、元の双眼鏡へ戻ったか、山木が元気な声で叫んだ。
と、デニー博士がよろよろとよろめきながら、指揮台の手すりを力に立上った。
「マートン技師。重力中和機を調整するのだ。着陸用意。舵を下げろ。五度へ下げろ。それから零度へ戻せ……」
マートンが、油をはねとばしながら駈け出した。
「……大きな密林だ。密林だ。あっ、密林が切れて、今度は海だ。海、海……」
山木が叫ぶ。
「右旋回……」デニー博士の声。
「なに、やっぱり駄目か。……噴流器の右側の列を使うんだ。早く早くしろ」
博士のこの言葉がなかったら、宇宙艇はむざんにも火星の海に頭を突込んで沈んでしまったろう。そうなれば折角ここま
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