た。
「そんならなにも、しょげることはないじゃないか。花を売ろうという考え方はいいんだから、もっとしんぼうして売れる日までがんばるんだね。しかし、もっと人目《ひとめ》につくようにしなくちゃ、誰も知らないで通ってしまう。よろしい。僕が君のために画看板《えかんばん》をかいてやろう」
そういって犬山猫助は画板をひらくと、その場ですらすらと、美しい花の画看板をかいてくれた。源一は、その画をうけとって、うれしそうに大にこにこ、礼をいうのも忘れていた。
命名《めいめい》
源一は、画家犬山猫助がかいてくれた美しい花の画看板《えかんばん》を、棒《ぼう》の先にゆわいつけて、一坪の店に、高々とはりだした。
これはたいへんききめがあった。
「おや、花だ。花を売っているよ」
と、通りからこっちへ通行人がとびこんで来る。
「れんげ草か、これはいいね。一株五十銭。ふうん。安くはないが……しかしほかの物にくらべると、やっぱりこんな値段だろうね。よし、十株もらうよ。うちの焼跡へこれをうえて、うちの庭をれんげ畑にしよう」
そういって、よろこんで買っていくお客さんがふしぎにつづいた。
「犬山さん。今日はばかに花が売れますよ。犬山さんのおかげです。昨日かいて下すったこの花の画看板のおかげです。ありがとう。ありがとう」
源一は、一坪店から、通りの方へ大きな声でさけんだ。犬山猫助は、今朝からこの銀座通りへ、似顔《にがお》スケッチの店をひらいたのである。彼は、源一にすすめて、源一もこの表通りへ出てきたらいいだろうといったが、源一は矢口家《やぐちけ》のおかみさんから譲《ゆず》られた裏通りの一坪の地所から放れるつもりはなかった。
犬山さんが近くに店を出してくれ、そしていろいろと元気づけてくれるので、源一はもう涙なんか出さなかった。
犬山画伯は、その日、もう一枚、花の画看板をかいてくれた。そしてそれは、表通りに棒をたてて、その上にはりつけることにした。“この奥に最新開店の花やがございます。どうぞちょっとお立より下さいまし”と、案内の文句がかいてあった。
この宣伝看板が出ると道行く人々は、前よりもずっと源一の店に気がつくようになった。
「君、源ちゃん。店の名前をつけなくちゃね」
と、犬山画伯は源一の店の前へやって来て、画看板を指でたたいた。なるほど、名前がほしい。
「なんとしますかね、犬山さん」
「さあね。すっきりした名がほしいね」
「あっ、そうだ。一坪花店《ひとつぼはなてん》というのはどうでしょう」
「なに、ヒトツボ花店というと……」
「ここの地所が、一坪の広さだから、それで一坪花店ですよ」
「な、なあるほど。よし、それがいいや」
犬山さんは、画筆《がひつ》をふるってこの画看板に「一坪花店」という名をかき入れた。
源一は、すっかりうれしくなって、あき箱に腰をかけ、うららかな陽をあびながら商売《しょうばい》をつづけた。お客さまは、おもしろいほどつづき、店頭《てんとう》に人だかりがするほどになった。
お昼すこし前のこと、通りが急にさわがしくなった。それは例の三人組がやって来たのだ。干《ほ》し芋《いも》とふかし芋とをならべると、三人がメガホンを使って、さわがしく呼びたてた。すると客は、みんな三人組の方へ吸いとられてしまった。三人組の声は、ますます調子にのっている。
源一は、また少しさびしくなった。
半年後
ここで話は、半年ばかり先へとぶ。
銀座も、バラック建ながらだいぶん復興《ふっこう》した。
進駐軍《しんちゅうぐん》の将校や、兵士たちがいきいきした表情で、ぶつかりそうな人通りをわけて歩いていく。
銀座の通りの、しき石の上には、露店《ろてん》がずらりとならんで、京橋と新橋との間の九丁の長い区間をうずめている。
道のまん中にたれさがっていた電線は、きれいにかたずけられて、今は電車が通っている。
通行人の身なりも、だいぶんかわって来て、もんぺすがたがすくなくなり、ゲートルはほとんど見えない。
戦争はおわって、平和の日が来たのだ。
しかし敗戦のみじめさは、あらゆるもの、あらゆるところをおおっていて、日本人は一息つくごとに、いたみをおぼえなければならなかった。
だが、戦争はおわり、平和の日が来たんだ。もう空襲警報《くうしゅうけいほう》もなりひびかないのだ。焼夷弾《しょういだん》や、爆弾の間をぬって逃げまわることもなくなったのだ。今は苦しいが、日一日と楽しさがかえってくるにちがいない。
その楽しさは、どこまでかえって来たか。どんな形をして目の前にあらわれているのであろうか。人々は、それをさがすために、みんな、銀座の通りへあつまってくるのだった。ものすごい人通りが、こうしてできる。
前には、新橋の上に立つと、源一の店
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