朝、袋探偵をたいへん喜ばせたものである。彼はその書類だけを鞄から抜きだして、彼が最も信頼するところの書斎の壁にはめつけの金庫の中にしまった。鞄の方は、硝子《ガラス》戸棚の中に入れて、鍵をかけてしまった。
 彼は、烏啼に対しては、全然知らない顔でいることにした。しかし定めし向こうでは気に病《や》んでいることと思われた。


   念入りなスリ


 袋探偵は、烏啼に関係ある例の鞄のことをしばらく忘れていた。
 そのわけは、彼が過日八つ手のしげみの間の中で酔耳《すいじ》(というものがあるとして)を通して聞いた奇怪な事実の研究に没頭していたからだ。
 その結果、あの貴重な水鉛鉱の話が本物であることを確めた。またそれを発見した真の権利者である金山源介が死んでいることも確めた。彼は悪い酒を飲んだあとで下宿で死んだことになっていて、確かに殺害されたことにはなっていなかった。
 笹山鬼二郎という人物も確かに実在していた。彼は弓削組に属して請負い仕事をやっている三十男であった。しかし彼はこのところ弓削組へ顔を出さないことが分った。
 笹山鬼二郎の宿所へ行って調べてみると、彼はこの数日以来そこにも全く姿を見せないことが分った。どこか他の場所に泊っているらしい。
 そしてこの男の所在を、弓削組でもどうやら気にしていることが判明したが、それとは別に、烏啼の一派が弓削組以上に、鬼二郎の所在を知りたがって、いろいろと手を廻していることが分った。そして首領の烏啼天駆自身はまだ顔を出していないが、彼の義弟である腕きき男の碇健二などは、いくどもこの鬼二郎の家へやって来たことが、近所の人々の話から分った。
 笹山鬼二郎は相当の悪党でもあり、頭脳も腕も胆力も衆にすぐれているらしく、この前の虎の門公園の出会《であい》においても、遂にあの秘密地図の半分を相手に渡さないでしまったことは確実だった。そのとき彼は反《かえ》って逆襲に出で、烏啼組に一泡も二泡もふかせたらしい。現にその夜の烏啼組のリーダーだった碇健二さえ右腕を引裂かれた上に昏倒《こんとう》してしまい、部下の者たちは周章《あわ》てて彼を肩に引担いで後退したほどだった。
 そういう鬼二郎のことだから、早くも形勢をさとって行方をくらましたのであろうが、袋猫々にとっても彼鬼二郎の所在は一刻も早く突きとめたく、その上で鬼二郎が金山源介を本当に殺害して彼の利権を横領したものだかどうかを確める意欲に燃えあがっていた。
 だが、猫々探偵の念入りな捜査にもかかわらず、今なお鬼二郎の所在を掴むことの出来ないことにおいては、碇健二の場合と同じであった。
 ただ数日後の或る日、彼に思いがけない一つの収穫があった。
 それは彼探偵が例の仕事を胸に畳んで虎の門公園の脇を通行中、公園の中からいきなりスポンジ・ボールがとんで来て探偵の頭に強く当った。探偵はふらふらとなった。そのとき若い男が公園の中からとび出して来て、ボールを拾う恰好をしながら、探偵にどしんとぶつかった。「すみません」と若い男は詫びて走り去ろうとするのを探偵は相手の腕をつかんで手許へ引張った。
「掏摸《すり》だな。掏《す》ったものを返せ」
 と探偵は怒鳴った。相手は強力をもって暴れた。が、袋探偵は腕力にかけてはちょいと自慢するだけあって、若い男の腕首を放さない。そして内ポケットから持っていった紙幣入《さつい》れを取戻そうと争っていると、いきなり相手が探偵の手に噛みついた。
「痛ッ!」
 探偵は手を放す。ごつんと向脛《むこうずね》を一撃される。探偵はひっくりかえる。と、横面をガーンと靴で蹴あげられ、探偵は気が遠くなってふらッとなった。
 ここまでは探偵のあざやかな負けだった。が、彼が気を持ち直して、頤《あご》のところをおさえて立上ったとき、下へぱらりと落ちたものがある。封の破れている手紙だった。それが収穫物だったのだ。
 さすがに探偵で、普通の者なら一顧もしないものを、彼はポケットへねじこみ、それから公園へ躍りこんだ。それはさっきの男を捕えるためだった。だが公園の中はひっそりかんとしていて、野球やキャッチボールをしている者はない。探偵は歯がみをしたが、どうにもならなかった。
 が、後で彼は例の封の破れた手紙をポケットから出して拡げてみたところ、これは彼を昂奮させずには置かなかった。すなわち一枚の紙に書かれた全部は、悉《ことごと》く片仮名ばかりの文章であり、一度読み下してみると、それが正に暗号文であることがはっきり分ったのである。
 その文章は、次の通りであった。
「クルマカンニセンコクアリシンネンノエンカイイマナオエンキザンネンナリタンネンベルクカイセンノケツカハシゼンチホウミンノシンノバンサンカイインニカンセズナオミンカンニソノサンカンヲコワントカンゼシナランイマケエイツノソ
前へ 次へ
全7ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング