或る新外科病院に入れ、自分とそっくりの顔形に修整してしまった。つまり万吉郎が二人できあがったわけだ。そうして置いて万吉郎は、偽の万吉郎をヒルミ夫人につけて置いて、自分は好きなところで勝手な遊びに耽っていた。そのうちに夫人は、それとは知らず偽の万吉郎の方を解剖してしまう。いま冷蔵鞄に入っているのは、つまり偽の万吉郎なんだ。気の毒なのはヒルミ夫人だ。肺門の病竈や胃下垂をとらえて、科学者は偶然を消去するなどと叫んでいるが、真の万吉郎の方は『科学は常に偶然に一歩を譲る』といって嘲笑したいところなのだろう。そして本物の万吉郎はすっかり悟りきって、昔ばなしを種にコーヒーをねだっている――というのはどうだネ」
そこまでいうと、若い男は何思ったものか突然腰をあげ、僕が待てといったのに、聞えぬふりして素早く外へ出ていった。
ひとりぽっちになった僕は、話相手をうしなって、所在なさに窓から首を出して、はるかの下界を眺めやった。その内にビルディングの入口から今の若い男が飛び出してくるだろうから、もう一度彼を見てやろうと思って待っていたが不思議なことにいつまで経っても彼の男の姿は現れなかった。
ただ僕は、地上はるかの十字路を、どこへ行くのか、例の黒い棺をつんだヒルミ夫人の冷蔵鞄が今しも徐々に通りすぎてゆくのを認めたのであった。
底本:「海野十三全集 第5巻 浮かぶ飛行島」三一書房
1989(平成元)年4月15日第1版第1刷発行
初出:「科学ペン」三省堂
1937(昭和12)年7月
※初出時の署名は、丘丘十郎です。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:花田泰治郎
2005年5月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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