は、地道にコツコツ働いて、月給五十円也というような小額のサラリーマン生活をする気はなかった。ヒルミ夫人のもとにいて、懐手をしながら三度三度の食事にも事かかず、シーズンごとに新しい背広を作りかえ、そしてちょっと街へ出ても半夜に百円ちかい小遣銭をまきちらすような今の生活を捨てる気は全然なかった。経済状態はそのようにして置いて、只身体だけをヒルミ夫人のもとから解放したいと思っていたのである。
 そんな贅沢な願望が、うまく達せられるものであろうか?
 だが万吉郎も、ただの燕ではなかった。もとを洗えば、不良仲間での智慧袋であり、参謀頭でもあった。奈翁《ナポレオン》の云い草ではないが、彼の覘《うかが》ったもので、ついぞ彼の手に入らなかったものなんか一つもなかったぐらいだから、或いは頭脳の絶対的よさくらべをして見ると、万吉郎の頭脳はヒルミ夫人のそれに比して、すこし上手《うわて》であったかもしれない。
 万吉郎は、この六ヶ敷《むずかし》い問題の解答をひねりだすために、気をかえて、昔彼が好んで徘徊していた大川端へブラリと出かけた。
 どす黒い河の水が、バチャンバチャンと石垣を洗っていた。発動機船が、泥を
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